見出し画像

衝動 太鼓

 とにかく自分の頭の中を吐き出して文章にしたいという衝動が落ち着いてきて、note毎日書かなくてもいいかと思い始めている。本が読みたいな。インプットって大事だし。元気になったら図書館に通いたい。最近頭がちょっとだけすっきりしてきて、そろそろ毎日動ける様になってもいいのになぁと思っている。

 代わりに新たな衝動が生まれてきて、でもなにをどうすればいいのかよくわからなくて自己嫌悪に繋がって泣いてしまった。音楽に関する衝動なんだけど、自分がなにをしたいのかわからなくて、でも衝動だけはあって困ってしまった。どうすればいいのかわからないけど、毎日せっせと太鼓を叩いている。ジャンベというアフリカの太鼓だ。2年ほど前の誕生日にねだって買ってもらったものだ。打楽器の誰でも叩けば音が鳴るという原始的なところが好きだ。元々はドラムをやっていたのだが、手で叩く楽器はさらに原始的な感じがして挑戦してみることにしたのだ。

 ジャンベを叩いているときの心境は2種類あって、「私はなにをやってるんだろう」と「気持ちいい〜」である。「私はなにをやってるんだろう」の時は日常生活の中で急に私が太鼓を叩いてリズムを刻み出すことに違和感を感じてしまい、「私はなんで太鼓を叩いているんだろう。このリズムはかっこいいんだろうか。わからない。このリズム飽きたな。なにを叩けばいいんだ。わからない。」という心境になる。全然打楽器好きじゃなさそう。1人でカラオケに行って、最初の1時間くらい「なんで私歌歌ってるんだろう」と思って音量を最小限にする時と同じ心境である。カラオケまで行って最小限の音量で歌う人、全然楽しくなさそう。でも「気持ちいい〜」となる日もあって、その時々の違いはわからない。気持ちいい時は体感いつもよりも手が良く動いて、リズムが自然に出てくるのだ。今日はすごく気持ちいい日で、夕方ジャンベとボンゴを叩いて、夜に消音のためドラムの練習用パッドを手で叩いた。小さい音だけど意外といい音がする。真ん中と端っこで違う音がするところが太鼓っぽくていい。

 前はよく川まで行って練習していたのだが、なんだか人目が気になって悪いことしてる気分になってしまうので、最近は家で練習している。人前で叩くことは全くなくて、それがちょっと寂しいのかもしれない。誰かに聞いてもらったり、誰かと一緒に合わせたりしたい衝動に駆られては、まだまだ下手だからと不安や恐怖心が勝り続けている。太鼓一個だけで私はなにができるのかわからない。私はこんなことができますよと言える感じではない。でも下手とかうまいとか気にするの、ちょっとダサいかもしれない。打楽器の原始的なところがすきなのに、そういうの気にするの、全然原始的じゃなくない?私はどうでもいいことを気にしてばっかりいるとよく言われる。アフリカで鳴っている太鼓たちみたいに生きれたらいいのにな。伸びやかな音を出す私のかわいい太鼓をリスペクトしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?