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温室にて
雪って本当に静かに降る。家の中にいたんじゃ降ってるかどうかわからない。私は天気の悪いこの時期、カーテンを開けない日も多い。カーテンを開けないと、今日の天気はわからない。外に出ないと空気の冷たさがわからない。私は今温室にいて、幸せだなぁと思っている。不健全な幸福だ。外に出なきゃいけない。社会と関わりを持って、コミュニティに属さなきゃいけない。家の中で好きなことだけをやって、薬のおかげでハッピーになって嬉しがってるなんて、不健全だ。
本屋さんで認知行動療法のワークブックを探していた。認知の歪みがありすぎて、自分の考え方を変えたいと思ったのだ。代わりに復職に向けてのワークブックを見つけて購入した。私は人生3回目の休職中で、何回休んでも仕事や生活はしんどい。しんどくなく仕事に行けるようになるんだったら、その方法が知りたいと思った。まだやり始めたばかりだから、全然わからないけど。何か変わるんだろうか。もう2年も病院に通って薬を飲んでいる。薬だけに頼っていてはだめだ。自分で頑張らないと。マイナスをゼロに戻さないと。
私には怖いことがたくさんあって、でも最近生きてることが楽しくて、でもそれは私が今温室で優雅にお茶を飲んでるからで、温室から働きに出たらまたしんどくなるかもしれない。私は私である限り、続くしんどさがあると思う。どうにかなるだろうか。春までにはどうにかしたい。春になったらすごく楽しみにしていることがあって、私はそれまでにもっと健全に健やかでいられるだろうか。わがままかもしれないけど、私はいつか薬をやめてもハッピーな気持ちでいたいし、いつかもっと自分のやりたいことができますように。
これを書いた後、SNSを見ていたら、優雅な療養生活という言葉が目に飛び込んできて、今の私にぴったりだと思った。温室で罪悪感と一緒に好きなことだけしてる私の生活はまさに優雅な療養生活で、私のいいのか悪いのかわかんないこの生活を肯定的な言葉で表現できることに、少しだけ救われた。わたしは今急に現れた穏やかな幸福感や健やかさに戸惑っている。薬の影響か、体調の波かでまたガクッと落ちるんじゃないか、これは偽物なんじゃないかと思う。鬱状態だから休んでるんでしょ幸せなら働かなきゃいけないじゃん何やってんのって思う。でもわたしにとってこの時間はきっと必要だ。みんな一人一人しんどいことが違くて、私は生きてるだけでしんどくて、私はきっと生涯年収がこの上なく低いだろうし、人より働いている時間や活動している時間がすごく短いと思うけど、それでもいいのかもしれない。この生活を優雅なんて、皮肉かもしれないけど、それでもいいのかも。というか、いい悪いとかそういうのじゃないかも。だってしょうがなくない?ああしょうがないっていうとなんか、悪いことみたいだけど。いいとか悪いじゃなくてきっと“そういうもの“だ。ラッキーと思って休むくらいがちょうどいいかも。温室で優雅にお茶飲んでるくらいがちょうどいい。いつか準備ができたらちゃんと働くから。働いてもまた休むかもしれないけど、いいとか悪いとかつまんないこと言ってないで、皮肉でもなんでも飲み込んで全部“そういうもの“ってことにしちゃいたい。