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掴み取った夜

 アドレナリンが出ていて眠れない午前4時。私は今日も夜の奥深くまで潜ってヘロヘロで帰ってきて、布団に入った途端元気になった。なんなんだ。今日は楽しいことがいっぱいあって、毎日つけている日記がうまく書けなかった。書きたいことはたくさんあって、でもうまく書けなくて、きっと今日もたくさんの日記の中の1ページになるんだなと思うとなんとも言えない気持ちになって、ここに綴っている。

 楽器をしている友達の演奏を見ていたら、急にセッションのお誘いが来て、私はびっくりとうれしいとどきどきが入り混じって、すっごいゆっくり立ち上がって挙動不審で人前に出てしまった。No No Girlsだったらちゃんみなにふざけるなって言われてるところだ。セッションはめっちゃ緊張してガチガチだったけど、やっぱり誰かと合わせるのは楽しかった。最近、石野卓球の曲に合わせて太鼓を叩くのにハマっていた私は、ちょうど誰かと合わせてみたいなと思っていたのだ。楽しくてでもドキドキして叩いていたら、その友達が私の眼鏡に投げ銭を差し込んでくれた。生まれて初めて投げ銭をもらった。私は嬉しくて、トイレに入りながらしみじみと静かに感動していた。トイレの中はいろんなものが貼られたり置いてあったりして、いつもはいろんなものを見てはほーうと思うのだが、今日は何にも目がいかないくらい感動していた。

 その後、お客さんたちも太鼓を叩いたり、友達の珍しい楽器を叩いたり、また別の珍しい楽器を持ってきた人がいて、その楽器に挑戦したりした。なんて素敵な空間なんだと思った。私はいつも楽器に触れる時、劣等感が隣にある。その劣等感は1番楽器がうまかった頃の自分と比べた劣等感だ。他人と比べるならまだ諦めがつく。自分と比べることはここに来るまでの年月やら何やらを思ってしまって辛くなる。私はその弱い心と向き合いながら楽器を鳴らすことになる。でも今日楽器を鳴らしていた人たちは、みんな純粋にどうやったらいい音が出るかなとか、どうやるんだろうとか、真っ直ぐに向き合っていて、私にもそういうのが必要だって思った。かっこつけてないで、私にもその楽器やらせて!って言ってみた。私の所持品でない、誰かの楽器はうまくいかないのが当たり前で、だからこそ純粋に楽しめた。夜の奥深くまで潜ってしまったけど、こんな有意義な夜の過ごし方があるのか!と思った。

 家に帰ったらぬいぐるみたちがこたつに入って寝ていた。私は全然眠たくなくて、海苔巻きを食べれば眠くなるかなと思って食べたけど、眠くならなくて、またこんな夜を過ごせたらどんなにいいだろうと思う。私はあまりにも怖がりで、きっと取りこぼした素敵な夜がたくさんある。運良く掴み取ったいい夜を忘れないようにこうしていろんな場所に綴っておく。

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