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療育花育の記録 ともくん#6

ともくんは、平成25年生まれ。障害名はついていません。いわゆるグレーゾーン。普通学級に1年通い、勉強も頑張りました。2年生からは、障害クラスに入り、お母さんもともくんものびのびたのしく生活できるように少しづつなってきました。

いきものが好きで、カマキリを飼ったり、抜け殻を収集したり、遺跡を掘りに行くのが好き。いろんないきものにとても興味があり、調べるのも得意。おともだちからは、いきもの博士と呼ばれることも。


ともくん 20231223 「水難の日」

終了後の経過について 親御さんから

今回、森先生から、前の日に「明日のお花は花屋にするか?庭の花にするか?」と聞くこと。何も言わなければ放っておくように言われていたので、そのように対応しました。
どうするか聞くと花屋で買うというので、教室が始まる前に花屋に行ってお花を購入しました。大きめのお花や丈のあるものを選んだのが特徴的でした。直感的に次々とお花を選んでいました。
今回は花育きょうしつ体験会ということで参加される子どもさんと一緒の時間でオンラインで教室に参加しました。
始まって先生がどんなお花を選んだか見せてほしいと言われ嬉しそうにパソコンの前でバケツからお花を取り出しながら画面に向かって見てもらっていた時、お花をバケツからお花を取り出そうとした矢先、なんとバケツが倒れて、思いっきり水がパソコンにかかりテーブルの上は水浸しになって、最悪な状況が起こってしまったのでした。
パソコンが動かなくなり、教室を中断する事態に。
今回丈のあるバンブー竹や大き目のお花を選んでいたこともあって、バケツの大きさとお花の大きさや長さが見合わず、バランスを崩して倒れたのだと思います。もっとどっしりした大きなバケツに入れておけばこんなことにはならなかったのかもしれないんですが。
私もとっさのことであわてふためき、とも君に向かっておもいっきり「なにしてんのよ。」と怒り爆発。

怒られたとも君は「違う。違う。勝手に倒れたんじゃもん。
「そんなことないわー。とも君が倒したから倒れたんでしょうが。」と私。
とも君は半べそで部屋から飛び出しどこかに行ってしまったのでした。
私は後始末をして、パソコンが壊れたのでスマホでズームにつないだりしていなくなったとも君を探しに行くと、なぜかお風呂に入っていたのでした。
「なにしょうるんよ。まだ終わってないでしょうが。」と怒る事態となりました。
そんなこんなで、教室は、次の花育きょうしつ体験で参加される子どもさんの時間に一緒に入れてもらうことになり、再度気を取り直して参加をしました。
風呂に入ってさっぱり気も取り直したのか、ケロッとしていてなぜか頭にバスタオルを巻いて参加しました。
先生が、「今日は重さがテーマだね。」と言ってくださいました。
とも君は悪くない。悪いのは母の危機管理が悪い。
バケツは足元に置くこと。お花がちゃんとご飯を食べれるように倒れないようにすることの大切さをお話ししてくださり、もっともだなあ、とも君にも悪かったなあと反省しました。
先生の水切りの説明の後、先生が「ともくん、できた?」と聞いてくださると「できない。」と言ってすぐやろうとしない場面もありましたが、その終、菊の花の茎を丁寧に水切りして葉っぱもちぎって取っていました。
「バンブー竹でかい。いつもよりでかすぎた。」菊の花を見て「けっこうすごい。キレイ。カラフルで!」「最後重いやつ。」太い茎をハサミで「痛い。全然切れない。」水切りで10数えたり等、今回は一人でしゃべりながら取り組むことが多かったです。
生け終わると、自分から進んで新聞紙でちゃんとゴミを包んだり、ボールの水を捨てに行ってちゃんと片付けができました。
お花を見てもらうと先生が「倒れなくて良かったね。重いのにね。」と言ってくださいました。よく聞いていました。
「ミイラになるよ。」と言われると「ミイラあるよ。見せてあげようかと言って、後ろに飾ったミイラ(今までの生けた作品)を見ていました。
ミイラにずっと関心を持っています。

「楽しかった」と言っていました。
今回も 先生から見た知樹の様子や花作品についてお聞きしたいです。
毎回、お花をミイラにしていくのでどんどん増えていっています。段々置くところも限られてきてどうしたもんかと思ったりします。

今回バケツの水がこぼれてパソコンが壊れたりしてとても大変でしたが、そのことから多くの学びがあった花育きょうしつとなりました。怒った自分、大変反省しました。
パソコンの前でお水を使う時にはこぼれることがないように私が責任をもって環境設定をしなければいけなかったこと本当に反省しました。

事が起こった時にその子を怒って、その子が悪いことにするのではなく、犯人捜しをするのではなくて、「どうする?」って聞いてあげることで提案できる子になる。
自ら考えてどうしたら良いかを考えれる子になるということ。
口から出る表現を変えるだけで相手の受け取り方と行動って全然違ってくるんだなあということを学ばせてもらいました。
お前が悪いは言わない、お母さんは子どもの味方になる。
子どもを守るのはお母さん。今回の先生のお話の数々、子育てに役立つことばかりで大変勉強になりました。ありがとうございました。
とも君のお花に関しては、ここのところ選ぶお花も大きなものが多く、色もいろいろでダイナミックに生けるところがとても面白いなと思います。
この子はこの子なんだなと思います。
写真記録


お風呂に入ってきた
集中できている
花瓶は倒さないよう気を付けている様子がうかがえる

前回を踏まえた検証と考察

>次回は、個人レッスンになるため、自分の感覚を思い切り出し切ってもらえるよう促す。

>急遽体験者が3名入ったため、グループとなったので、次回に持ち越し。

印象記録

途中、机の上に置いてあった花バケツを倒したため、中断。
その際に、親御さんが慌てていたため、画面の向こうの2人を落ち着かせるよう、気を配り、指導。ともくんが、このことで、花を嫌いになるようなことにならないよう、促す。

重い花ばかりが入るとバケツは倒れる、という体験をともくんが出来たこと、その体験で、じゃあ、次回はどうしたらよいのか、を考えられるようになればいい、と、考えた。

が、誰が悪いかの争奪戦のようになったため、
「誰も悪くない」旨を伝える。

この場合、誰かが悪いことにすると、全員悪人となってしまう。
重いとわかって置いた人、それを見ていた私、倒したともくん、その場所を選んだ人、花を選んだ人、水を汲んだ人・・・等々関わった人が全員悪になる。
母親のせいでもなく、負荷効力である。

結果、怒鳴った自分のせいであり、悪い、となってしまう。それは避けたい。


理想で言えば、その場を二人で善処して一緒に乗り越え、次に起こらないよう2人で決めて、次回それを実行し、
それでもまたなにか起こったら、決めたことを微調整して改善してゆく。

ひとつの懸念としては、
「怒りが爆発した」のは、
なぜ、「爆発」なのか?
のほうが、肝要だ。

反省ということでもなく、
自分を見つめ、
違う怒りも混じってはいなかったか、
違う理由も混じってはいなかったか、
など、
子どもから与わる贈り物のような、自分を知るよい機会のようにも思える。

反省の感覚は様々あり、自分が悪い、としてしまうと、
誰のせいか、が、また決まってしまうこととなる。
自己成長の機会とし、自分の特徴や内面を知ることで、出る言葉や怒りの爆発は自然に変化する。

とも君は悪くない。悪いのは母の危機管理が悪い。

お母さんは、私のこの言葉だけが響き、残っており、そのほかの、
「倒したともくんが悪いなら、おかあさんの危機管理も悪い」
「不可抗力で、誰も悪くない」
「形あるものは必ずいつか壊れる」
「水をこぼしたり、高価な花器を生徒さんが割っても叱ったことはなかった」 
「たいしたいい親でもなかったが、自分の子どもには、わざとでなくものを壊してしまってしょんぼりしていたときには、叱らないよう気をつけた」などなど、
自分の体験も踏まえながら、
いろいろと説明した言葉は、
それどころではなく、覚えていないのかもしれない。

相手が気が動転してパニック状態の際には、どうしても子どもを観察するため、
親御さんへは、長い説明よりも、
結論だけを的確に伝えるように、意識をもって講座を行うことにする。

危険がない、解決できる、問題はなんとかなる場合、水をこぼしてPCが壊れても、死なないし、傷つく人もいない。親は大変になるが・・。

ともくんは日常的にモノを壊す子ではなく、大切にする子だということは、親御さんもちゃんとわかって理解している。日常的にはどうなのか、で、何を話すかは違ってくる。

子どもに怪我がなかったので、𠮟れたのだとも思う。

ともくんやお母様に怪我がなくよかった。

前回の記事で(療育花育の記録#5ともくん 参照)

親子であっても違う人なので、
産んだ時点で既に信頼関係ができているわけではなく、互いに日々構築するものと考えている。

と書いた。今回のことで、親子の深い信頼関係を見ることができた。

現場から

ともくんは、濡れたこともあり、気を変えるため、お風呂に入り、元気になり、平常な心理となった。

責めた母を許しているし、愛していることが伝わってきた。
そして、何かの際に、萎縮せず、自己主張もできる。逃げることもできる、こころの強い子のように思った。

母親も勿論子供をゆるし(PCは修理に出たそうだ)責任をとり、現状解決をした。

他の花育講座でもそうだが、以前より、親と子、同時に花育をすることが、最善のように感じる。
療育の場合は特に、一方だけではないのかもしれない。

なお、作品はいつもよりは、粗い。

次回考察

1)オンラインで欠席者があり、実質的には個人レッスンになるため、自分の感覚を思い切り出し切ってもらえるよう促す。
2)枯れたミイラを、人の手によって美しくできることを伝えてみる。

―to be continued

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花育研究家 森直子
2003年から一万人以上の方に花育をしました。現場でどんな風に、どうしたか、結果どうか等、遺さないまま頭の中にあり、書きのこして、いつか誰かの役にたったらいいな、と思い書き始めました。サポート励みになります。活動費として使わせていただきます。よろしくお願いいたします。