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負け越し(ぐらい)を目指して――『負ける技術』

 漫画家、カレー沢薫のコラムを初めて読んだ。『負ける技術』。
まるでビジネス新書のようだが、全然違う。カレー沢氏曰く――。

 一世を風靡し、チヤホヤされた人間が、一つ不祥事を起こした途端、袋叩きに遭う様はもはやおなじみというか見飽きた光景だろう。そして勝者の周りにはその瞬間を待っている人間が大勢いるのだ。
 そんなゴルゴ13どもに囲まれて暮らすぐらいなら、勝利などいらない、人も寄ってこなくていい(略)あくまで「負け越し」ぐらいを狙うのだ。

『負ける技術』pp.5-6

 これが前書きだ。この前書きに心を掴まれた人は好きなところから読んでみよう。コラムの書籍化で、マンガの担当編集者への恨みつらみから無職時代のこと、SNS論まで豊富に載っている。

文章面白い!

 凡庸な褒め方だけれどカレー沢さんの文章はすごく面白い。比喩が巧み(たまに極端)で、面白いのに(一人バーベキューをしたり、マンガ家にファンレターを送りまくった過去があったり、話題は尽きない)さめたユーモアのあるところもあって、何度か声に出して笑った。わかりやすい言葉で書かれているけれど、その組み合わせや言い回しはちょっと思いつかない、というものが多い。例えば、「そして一身上の都合の数なら誰にも負けなくなったころ、奇跡的に漫画の仕事を得、親のカネをドブに捨て続けた人間にしか描けない絵を描いている」(p.33)。凄い文章だな、と思った。全編こんな調子だ。

嗚呼、SNS

 そんなカレー沢氏のSNSと人間関係に関する文は特に冴えわたっている….。私が戦慄したのは、「I'm happy!」と題された文だ。なぜフェイスブックに皆こぞって「幸せそう」な写真を載せ合うのか。別に本当は楽しくなくても、「「充実していると他人から思われることによって感じる充実」という心理も存在する」(p.293)。まさしく。私がフェイスブックに投稿する時は、楽しいからというより楽しそうと思われたいからだ。アピールである。そして、そんな心理によって書かれた文の例として、このコラムとは全く違った調子の、ミクシィに書いた日記まで載せてくれている。ひぃー。でもこのコラムは格好つけようとせずここまで全部書いているから面白いのだし、それはすごいことだ。
 さらに、最後の一文にノックアウトされた。おっしゃる通りです。

 今はスーフルで「ほがらかSNSライフ」という連載をされているが、確かに、この人にSNSについて書いてもらいたいはずだ。

カレー沢薫『負ける技術』講談社文庫、2015年

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