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夫婦とは 坦々麺とイクラご飯くらい違うのかもしれない

鼓膜の手術後に知り合いから立て続けに連絡が来て、それぞれと会う約束をした。

私は基本的に1対1での付き合いしかしていないな、と最近気付いた。
人に興味があるが、浅く広い付き合いよりは狭く深い付き合いが楽。

結婚した時は周囲から驚かれたりしたが、不器用かつ人付き合いの少ない私がなぜ?という驚きだったのかなと思う。
家族が欲しかったのと、生活の安定のため、という点で結婚した。
他人の恋愛話を聞くのは好きだが、自身の恋愛はパワー不足のためノータッチだ。

1人目の友人とは8年位の付き合いだろうか。
かなり年下の可愛らしい人で、今が1番楽しい時期なのかなという年代。

2人目の友人は10年以上の付き合いで、同じ年だ。
友人はちょっとフランス人ぽい見た目をしているが日本人で、普通を好むお嬢様といった感じ。

友人達は現在フリーで交際相手はいなくて、特に募集もしていない。
社交的で私以外にも友人が複数いて、きちんと社会生活を営んでいる。

高校からの付き合いの友人は新幹線で3時間ほどの距離に住んでおり、時間もお金もかかるため、なかなか会う機会がないが連絡は取り合っている。
この友人は20代前半で結婚しており、子はおらず仕事をしている。

これらの親しい友人達と話していると、非常に安心できる。
私は常に安心感を求めている。
だから恋愛より結婚なのだろうと思う。

その友人たちよりも一緒にいる時間が多い夫だが、結婚したきっかけとしては、ものすごく気が合うわけでも趣味が合うわけでもなく、育った境遇に共通点があった事が大きいと感じている。

機能不全家族の要素が2/3はあると思う。
だからこそ、わかることが多く私にとっては安心だった。
本来であれば恵まれた環境の人と結婚したいところだが、そういう意味での安定した相手とはなかなかご縁がなく、健康にも恵まれず、恋愛にも消極的だったこともあり、最後の手段として選ぶことができたのではないかと思う。

夫はそこそこ健康で、人見知りで、キャパシティが狭いため嘘が下手。
パッと見は分からないが、異常に歯並びが悪く、エイリアンより歯並びが悪い。
その点が私からすると把握しやすいという意味で安心感があるのだ。
ドラマや映画、キラキラした人々とは程遠いが、現実的で安心感があるのだ。

意思の疎通が上手くいかないことが多々あったが、改良に改良を重ねたことで自身の成長にも繋がっていると感じている。
一時期は殺伐としていた時期もあったが、環境への慣れや和解を重ねていくうちに馴染んだ感覚もある。

互いを尊重し、ある程度の距離を保つこと。
これが自身のゆとりに繋がるのだ。
仲の良い友人とも、毎日生活を共にして過ごしていたらぶつかることもあるだろう。

それほど仲良くなくても、生活を共にしていたら通じ合うこともあるのだ。

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