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2025.02.19「助演女優でありたいな」
こんばんは。今日もお疲れ様でした。
今朝も風が冷たく、車の気温は氷点下。
ぶるぶるしちゃうような外気から
いつだって身を守り温かさとぬくもりで
癒やしてくれる"布団"から出る
毎朝、最初の一歩を踏み出せてる自分を心底たたえたいぜ。
早く春が来ないかな~
今日は、ふと思い出した過去について書いていこうと思う。
それは大学3年時、当時10年以上続けていたバレーボールから離れて、
たっぷりの時間を手に入れた私は、
今しかできない経験をしたいと、
「自分は何をしている瞬間がワクワクするのか」
「やりたいことって何なのか」…など。
探すためにも「やってみたい」という好奇心の赴くままに
色々とチャレンジし始める時期があった。
ヒッチハイクや、海外旅行、
海外インターンや、障がい者ボランティア(利尻島へのキャンプ旅)
イエナプラン教育と出逢ったのも、この時期。
今、特別支援に関わるきっかけになったのも
先に述べたボランティアでの衝撃的な経験がきっかけだった。
海外インターンでは、武者修行プログラムという
ベトナムにて新規事業開発をする内容のビジネスインターンにも参加した。
当時、全国から30名ほどの参加者が同じタームいて
東大や一橋、東京理科大など…。
私は教育学部だったけど、同じ教育系の人はほとんどいなくて
名だたる有名大学の人達ばかりで、最初は学歴だけ見て
なぜか消極的になり、一歩引いてしまっていたけど
たったの2週間。しかもわざわざベトナムまで初めて来たんだ。
せっかく踏み出した大きめの一歩を絶対無駄にしたくない、と
他の子たちとコミュニケーションを取りながら、
たどたどしい英語力なんて無視して
なんとか出川イングリッシュで、外国人観光客にインタビュー。
レストランでの新規事業アイディアを初日3日目にして
英語のみでプレゼン。
頭は真っ白だったな。
なんだかんだ同じ、あのときの自分にとっては全力で臨んだけど
結果的には考えた事業は不採用。
でもその2週間の中で、ひしひしと感じて自分と向き合ったあの時間
今でも覚えてるのが、
ビジネスの基本を学べた、なんかではなくて
「なんだ、ビジネスの世界ではお客様の満足度を上げるのと同じで
先生は子どもや(それに関わる保護者や大人)のニーズを満たすこと」
私はやっぱり先生がやってみたいんだって気付いて、卒業後はそのまま小学校の支援級の先生を勤めることになる。
あのとき感じた
「先生は子どもや(それに関わる保護者や大人)のニーズを満たすこと」
これって先生だけが頑張ることを言いたいわけでもないし、
ただ子どもや保護者の機嫌取りをして
好かれることを指したいわけでも全くない。
学校にいて、先生であるその時間
できる限りの力を尽くして
子どものニーズを満たして、ちょっとの工夫で
ちょっとずつの成長を促せるよう
毎日、毎日仮説をたてて実践を繰り返す。
それが時にはハズレだったり、
思うように進まないことなんてほとんどだけど
それでも誰よりも諦めずに
子どもやとりまく大人がハッピーでいられるように
考え続ける。
それが今の自分の先生としての役割だと思ってるし
それができるこの仕事、今ではちょっと誇らしいって言える。
これってある意味、高校時代にバレーに打ち込んでたあの時
コーチからずっと伝えられて、昔から私が大切にしてきた
「助演女優」って言葉と共通してるなって。
子どもが芽を出すその瞬間まで、土として
決して目立たずどっしりと
助演女優でありたい。
これからも変らない気持ちを、今日は綴っておこう。
今日もあたたかいお布団でぐっすり眠ろうね、おやすみなさい。