西成0円ショップ
数日前、西成の三角公園横の路上で0円ショップをやってきた。
0円ショップというのは、路上など公共空間に不要品や誰かにもらって欲しいものを置いて無料で通行人にあげる活動だ。場づくりとしても注目されている。東京で鶴見済さん達がやり始め、いろんな地域に派生しているようだ。
いつもは、路上で人に話しかけてお金をもらう物乞いまがいのことをやっている。しかし、今回はお金が欲しいという浅ましい気持ちを封印し、あげることに徹したらどうなるかをやってみた。
西成には引きこもり時代におっちゃん達に温かく接してもらい世話になった。カイロや防寒具など生活物資を配るなど何かしら恩返しをしていきたい(まぁ、大半は他人からもらったものや、路上でひろったもの)。
0円で人にものをあげる行為に何の意味があるのか?
ものをもらわれたり感謝されると人の役に立った感を得られる。人から好意を受けると気持ちいい。どんどんあげたくなる。もらわれることでお互いよい気分になる。
生活保護費の支給日前ということで、0円ショップによる物資供給は喜ばれた。通りがかったおっちゃんから、「西成でこういうことするのいいことやわ」と言われた。
また、食べ物など差し入れをくれる人もよくいた。「ちょっと今日は暇やわ」とおっちゃんがその場に居着いて、焼き芋やお茶をくれたりする。お金を渡す人もいる。「君たちいいことしてるね」とカンパをくれる人たち。タダでもらうのは気が引けるから少しは受け取りと100円ほど手渡す人。東京や名古屋あたりから仕事や旅で関西に来て、つかの間の居場所として西成に立ち寄る人らと雑談をすると投げ銭していく人もいた。今回は利益を全く求めてなかったが、結果的にお金が入ってきてしまった。
みんな善いことや助け合いをしたいという気持ちがあり、路上などの開かれた公共空間ではそういった行動をとりやすい。利他が誘発され善意の連鎖が生まれる。
物資が必要な人は持って行き、比較的余裕のある人や旅行者からはカンパや食べ物をもらう形となった。
能力に応じて与え、必要に応じて取る
路上のアナーキズムを体感した
孤独になりやすくつながりが得にくい時代。その辺に落ちてるものをひろって何かしたり身振り手振りでも、ちょっとした人との関わりや場づくりができてしまう。人の前に出て物乞いをして与えてもらっても、逆に与えても社会とつながる契機になる。そういうことがあるよねと言いたいのさ。