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西成のおやっさん



 西成の三角公園の横で集まりをやっていると顔馴染みになったおっちゃんがいる。知り合って3年くらいになる。

 2021年に生活保護費の引き上げや一律給付金を求める路上デモをしていた。西成の三角公園の横の路上でもやり道ゆく人と交流することもあった。その時に、公園の隅で野宿生活をしているおっちゃんから話しかけられた。大きい袋ひとつ分の荷物を持ち歩き、公園の横の壁にもたれながら、地面に段ボールを敷き寝泊まりしている。昼はひろった新聞や小説を読んだりしている。酒は飲まないという。わたしが公園の横にいるとおっちゃんが話しかけて読んでる小説や時事問題について話したりした。

 2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した日にも西成にいた。公園の人たちは三角公園のテレビのニュースに釘付けになっていた。おっちゃんから「弱い者は強い者に食われてしまうな」とぼそっと話しかけられた。

 おっちゃんと話している時、周囲に別のおっちゃんやおばちゃんが寄ってきて話しが始まった。「外で寝る生活は大変だ。一番偉いよ」と。おやっさんと呼ばれたりしていた。外で寝泊まりしてる人は尊敬されるようだ。朝、公園に散歩に来た人の話し相手になったり、度々立ち寄っておやっさんに話しかける人もいる。飯だけ置いて去って行く人もいる。おやっさんは地域の少なからぬ人にとって止まり木のような存在になっているのかもしれない。公園の隅で無防備に寝ているが襲われたりひどい目にあうことはないと言う。みんな基本は無関心だと。

 おやっさんはよく食べ物の差し入れももらっていた。食べ物が入った袋をもらって中を見ると、食べ物の下にお札が入っていることもあるという。お金も慈善団体や宗教関係の人からもらうこともあるという。わたしもおやっさんには食べ物をよくカンパしていた。大阪に用事があり西成のドヤで泊まり、夜に玉出で飯を買い三角公園で食べる。その時におっちゃんを見たら玉出の惣菜やおにぎりをいくつか持って行って腹の足しにと渡した。

 ひろった衣服やものも活用しているようだ。ガラクタをひろうことが好きだという。わたしに会うと「これいらんか?」とよく分からんものを見せられることもある。「これ、売れるぞ」とファーの帽子をもらったこともある。「俺はよう売らんから代わりに売ってくれ」と言われた。状態は綺麗だからメルカリで売ってみると、なんと900円で売れてしまった。笑

おやっさんが「これいるか?」と差し出した24の瞳の像。西成には色んなものが転がっているんだな。


おやっさんにもらったファーつきロシア帽。メルカリで売れてしまった。


 ある日三角公園に行くと集会がおこなわれていた。ヘルメットをかぶったおっちゃん達がたくさんいる。なんとそこにおやっさんの姿があった。デモに参加するとカレーが食べられるという。活動家に動員されていたようだ。「世の中で立ち回るにはこういう所とも付き合わなあかんのや」とわたしにぼそっと話した。

ヘルメットのおやっさん
三角公園での集会・デモ。武装勢力のようだ。参加したらカレーが食べられる。


生活保護に移行


 野宿生活は真夏や真冬は過酷である。おやっさんも冬は相当こたえていて、寒さに我慢できなかったら福祉(生活保護)をもらおうか考えてると話した。

 おやっさんの服は厚手のジャンパーやズボンなどを着ているが、シミや汚れも目立ち不衛生でところどころ破れている。冬は肌が荒れ霜焼けなどもキツそうだった。三角公園でおやっさんが冬の寒さの中ボロボロなたたずまいで耐えてる姿を見るのは正直痛々しかった。おやっさんと雑談をするが、その姿を前に素直に会話を楽しめない。内心では野宿生活をギブアップして生活保護を受けてほしいという思いが強かった。ふるさとの家にでも駆け込んで支援者から生活保護につないでもらうこともできるかもしれない。しかし、その冬の日以来おやっさんの姿を見なくなった。正直、冬の寒さにやられて亡くなってしまったのではと思ったりもした。

 1年ほど経過した2024年の年始の餅つき大会でおやっさんにばったり会った。顔の色が日焼けした茶色から肌色になっていた。肌にツヤが出ていて表情にゆとりがある。話を聞くと生活保護を受けて屋根のあるところで暮らすようになったらしい。生活は落ち着いていると言っていた。「やっぱり外はきつかったな」と語っていた。

 しかし、夏になると夏風邪か鼻水を垂らしたおやっさんに遭遇。大丈夫かと思っていたが、8月の釜ヶ崎夏祭りではまた元気な姿で会うことになる。その時は路上カフェ(自分の路上をつかった集まり)で配布していた袋ラーメンを数袋渡した。この前は持ってきた梅ジュースを飲んでもらいしばしみんなと交流してもらった。でもおやっさんは付かず離れずの距離感ですぐその場を後にする。つかの間話をしたり必要な支援を受け取ること以上に寄りかかろうとはしない。野宿生活でつちかった人との付き合い方なのかもしれない。

 わたしの西成の路上での出会いの一人がおやっさんである。三角公園の横で会って話したり、ただじっとかたわらに居たおやっさんの存在は西成でのわたしの居場所そのものになっていたと言ってもよい。

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