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奈良のおばちゃん



 わたしの路上の居場所やイベントによく来てくれたり、一緒に旅をするおばちゃんがいる。3年前に近鉄奈良駅前の路上で出会った。農業(自然農)に関心があり、この前はヒッチハイクで和歌山新宮市の共育学舎まで旅をした(廃校舎をつかって農的生活をおこない、フリースクールを運営している)。自分に視野や知識の広がりをもたらした重要な人である。


1.駅前で知り合い野宿場所を一緒に探した(2021年11月)

 奈良公園近くで生存権についてのセミナーを聞いて帰る時に、奈良をブラブラしたくなった。夕方に近鉄奈良駅前で引きこもりアイドルとして通行人から投げ銭をもらっていた。通りがかった人からカステラをもらったり、コーヒーの差し入れをもらいながら奈良の人と少し話したりした。

 夜になり通行人に話しかけると一人のおばちゃんが振り向いた。飲み屋の帰りで今日はどうするのかと聞かれた。「奈良公園で野宿しようと思っているんですけど、どこか野宿しやすそうなところないですかね?」と言ってみた。橿原の方に野宿できそうなところがあるかもしれないと言われた。

 電車の中でおばちゃんと話した。むかし、東ヨーロッパで農家の人の家に滞在したり、各地を放浪していた話を少し聞いた。わたしが生存権問題(生活保護制度など)についてのシンポジウムに顔を出していたことを話すと、地域の社会運動にも参加している話を聞いた。水道民営化への反対運動などしていたようだ。

 近鉄に乗り橿原神宮前で降りた。「ここなら寝れるんちゃう」と連れて行かれたのが、雑居ビルの廊下の少し開いたスペース。しかし、監視カメラが目の前にあり、そこでは野宿はやめておくことにした。その時はおそらく24時くらい。夜道をおばちゃんと2人で歩いた。近くにスーパーも何もない。お腹が減った。「何かご飯とか家に残ってないですか?」とおばちゃんに聞いたが、何もないよと断られた。それから、「橿原神宮の中で寝れるんちゃう」と夜中の橿原神宮の中に入っていく。10分くらい歩くとベンチがたくさんある休憩スペースを闇の中に見つけた。ここで寝ることになった。寝袋はあるので寒さは大丈夫だった。しかし、かなりお腹がすいていた。さっき駅前でもらったカステラを食べて空腹をしのいだ。腹がふくらんで眠りについた。


近鉄奈良駅前で投げ銭をもらう。3年前の2021年11月初頃。
広い休憩スペースで野宿した
橿原神宮の池のほとりで朝目覚めた。


2.翌年の夏に再会した(2022年6月)


 2年前の6月にすごく暑い日が続いたので、涼しいところに行ってやろうと思い立ち奈良県の天川村に行った。その帰りに橿原を経由して京都に帰ろうと思った。そういえば、去年会ったおばちゃんも橿原の人だ。また会えないかと思いきって電話してみたら再会することになった。行きつけの個人で切り盛りしてる鉄板焼きのお店に連れて行ってもらった。キャベツがたくさん入っていておいしい。

 この時はれいわ新選組の活動や、水道民営化反対の活動に力を入れていた。「みなさん少し話を聴いてください」と言ってお店の廊下に立って、水道民営化の問題についてお店にいる人に話しかけていた。人の前に出て政治の問題を堂々と話す姿は輝かしかった。みんな話を聞いてやり取りして納得していたようだった。

 わたしも生存権や生きづらさの問題で話が会う人たちと西成で集まりをしていると話した。おばちゃんは興味をもってくれたよう。年始の越冬闘争の餅つき大会の時は三角公園横の路上でみんなで集まるので来てくださいと伝えた。

岡寺駅近くの鉄板焼きのお店でご馳走になった。


3.西成の路上に来る(2023年1月〜)


 2023年の年始1/2に西成の路上で集まるイベントをやった。そこにおばちゃんも来てくれた。むかし、西成の教会でボランティアをしてたようで、機会があればまた西成に来てみたかったと話していた。路上の人に配るための使わない衣服や石鹸を持ってきてくれた。わたしも不要品をもってきたりエゴマやノビルなど野草を配ったり料理したりしている。おばちゃんは野草が好きなようで、大変喜んでくれる。


 今年(2024年)の2月にも西成で集まった。その時は西成の路上でブラジル人のスマートな兄ちゃんと出会った。東京に住んでいて、建築家隈研吾の事務所で働いているそうだ。旅行で関西に遊びに来ていた。そのブラジル人の兄ちゃんも呼んで友人のシェアオフィスで食事会をした。スラムで生まれ育ったらしいが、かなり勉強してエリートになったのだろう。みんな関心をもち会話を楽しんだ。うまく新しい人と出会って集まりに招くと新鮮である。

 8月の集まりでも西成の夏祭りの後に食事会をした。この日は立憲民主党の活動をしながらダンサーをしてる人や、友人が呼んだミニマリストで貸し農園で野菜をつくっている人などが来た。おばちゃんがわたしの集まりに来るのも、路上などで知り合った新しい人たちと話せることにおもしろさがあると言っていた。


2023年1月の三角公園での越冬闘争。公園横の路上をつかい交流会をした。
2024年8月の食事会の様子


家で余っていた自然食のそう麺を持ってきてもらいみんなで食べた


4.梅取りや畑の活動


 奈良県の住宅地近くの林に梅の木が数本生えている。引きこもりの友人がたまたま梅の花が咲いてるのを見つけたようだ。誰も手をつけず放置されている。5月末になると梅の実がたくさんできるのでみんなで梅取りイベントをしている。この梅取りにもおばちゃんは2年連続参加した。梅酒や梅干しなどをつくるという。自然にあるもので色々つくるのが好きだそうだ。こういう企画も一緒に来てくれる人が徐々にできてよい。


みんなで梅取りを楽しんだ


 学生時代の友人は亡くなった祖母の空き家や耕作放棄地をつかい学生や社会人と野菜をつくったりイベントをするNPOを立ち上げている。河内長野の自然豊かな場所だ。みかんやレモン、柿などの木もたくさんある。そこでたまに我々も泊めてもらったり、くつろいだり畑の体験などしている。8月にはブルーベリーを取らせてもらった。おばちゃんは自然農に関心があり、麦を植えたいと話している。麦は種をまけば勝手に育つらしい。

友人の畑。この前は一畝借りてそら豆を植えさせてもらった。コモン(共有地)にする
8月に取ったブルーベリー


 また、自然農の第一人者である川口由一さんの農塾にも通っていたらしい。三重県の赤目にある(名張に近い)。友人の車に乗せてもらいみんなでその農塾に出かけたこともある。

赤目の農塾。種の交換ボックスもある。


5.ヒッチハイクと野宿の旅(2024年9-10月)


 ある日、おばちゃんから電話がかかってきた。わたしがヒッチハイクや野宿でお金をかけず旅してることをよく話していて、前々から興味をもっていたようだ。「わたしは旅はたくさんしたけどヒッチハイクや野宿はしたことがないから、今度一緒に連れて行ってほしい」と電話がかかってきた。ヒッチハイクや野宿ができるとお金を節約しながら気軽にあちこち行けるようになるからできるようになればいいなと。

 ということで、今年の9月と10月に2回ヒッチハイクと野宿の旅をおばちゃんとしてきた。最初はおばちゃんの住む橿原から天川村と洞川温泉に行った。河原に面した屋根付きのベンチで食事をつくったり野宿にもチャレンジしてもらった。大変楽しんでくれたようだ。

 2回目は、和歌山県新宮市にある共育学舎に2人で行くことにした。自然農などしたいというおばちゃんにとって、いい話が聞けたりつながりもできるかもしれないと思い行くことになった。共育学舎には今年の5月に立ち寄り田植えを手伝った。廃校舎を利用して自給農をベースに、フリースクールも運営している。代表の三枝さんと、妻のユキさんはじめかなり実力のある人たちだ。


 2回目の共育学舎もヒッチハイクで向かう。乗せてくれた車は5台ほど。吉野でゲストハウスをやってる人や、十津川に釣りに行く人、温泉に入りに来た夫婦、谷瀬の吊り橋の集落でカフェをやっている方、などに乗せてもらった。カフェには今度来たら行ってみたい。乗せてくれる人はみんな親切に対応してくれたのでおばちゃんは喜んでいた。十津川村につくと、熊野古道の道を少し登山して果無集落まで行った。下山はおばちゃんが登山に慣れてないため手こずった。ゆっくり降りたら日が暮れた。下山したところに広い公園がありその芝生の上でシートと寝袋を敷いて寝る体制に入った。横になりながら色んな話を聞いた。充実した日だった。

 翌朝は川湯温泉に行った。そこから共育学舎に向かった。ユキさんはじめそこに滞在してる人に温かく迎えられた。夜は飯をみんなでつくり、食べながら談笑した。おばちゃんも農業のことだけでなく、海外を旅した経験から色んな話で盛り上がった。おばちゃんは人の懐に入るのが上手いようで、人とよい関係になる。みんなから喜ばれていた。次来る時は、何か自家採取した麦の種を持って来るとのこと。いいきっかけが生まれたと思う。わたしも、おばちゃんを引率する形になり、ヒッチハイクや野宿の旅の指導経験っぽくなった。


おばちゃんにヒッチハイクの練習をしてもらった
ヒッチハイクで車を4台ほど乗り継いで十津川村まで来た。この後、熊野古道を散策。下山すると日が暮れた。
野宿旅では自分たちで飯もつくる
草むらで2人で野宿した様子。よく寝れたそうだ
和歌山県新宮市にある共育学舎までおばちゃんとヒッチハイクで行った


6.路上でゲームチェンジャーに出会う


 おばちゃんは今は70代。働いてから結婚して、娘が数人いる。阪神淡路大震災の時にボランティアをしてたという。昼間は活動して、夜はボランティアの人や地域の人と酒を飲み交わしながら談笑する。楽しく充実した経験だったという。ボランティアに参加した人たちは真面目で能力も高かった。しかし、そういう人が鬱になったり自殺したりするのも見てきた。社会と生きづらさについてはその時から心にとめるようになったという。50歳くらいにピースボードに乗り、一緒に旅した若い人たちから刺激を受け、そこから東ヨーロッパやタイなど海外も含めた旅をよくするようになる。ヨーロッパでは知り合った農家の家に居候して畑を手伝っていたという。好奇心とともに行動力があり、豊かな経験や知識はわたし達にいい刺激や活動の広がりをもたらしている。

 わたしは勉強も仕事も続かず半引きこもりとなった。できることがなくて何もできないなら人に恵んでもらおうと開き直って路上で物乞いをしていた。そうしているうちに出会い、社会問題や生きづらさについても意識を共有でき関係がつづいた。わたしの路上の居場所にも興味をもって来てもらい、交流に広がりもできた。たまにうまい飯も食わせてもらえる。ヒッチハイクや野宿の旅など、誰もわたしに付き合ってくれないが、おばちゃんは楽しんで一緒に来てくれた。わたしの人生を面白い方に引き上げてくれる。まさに、ゲームチェンジャーであると言える。わたしのイベントに来たら奈良のおばちゃんに会える可能性も高い。興味のある人は来てみては。


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