「さすが」って言わないで
「さっすが〜!」という褒めことばが苦手だ。
私はよくこのような言われ方をする。自慢でもなんでもない。
苦手と感じつつ、自分で使ってしまうときもある。「さすが」はどのような意味で使われるのか。なぜ私はそれを苦手だと感じるのか。少し考えてみた。
長子という育った環境も関係しているのだろう、幼い頃から、「しっかりしてる」「あなたに任せておけば安心」というようなことばをかけてもらう機会が多かった。どの集団にいても基本的に、お姉ちゃんポジション、いや盛った(?)、姉というよりお母さんポジションだった。しかし「しっかり者」と言われていやな気はしないし、そう言ってもらえるように意識的に気を配ったりアンテナを広く持つように心がけたりしている面もある。よっぽどイヤミを含んだものでなければ、その褒めことば自体は嬉しい。
ただ、関わる回数が増えていくごとに、件のことばが使われ始める。
例えば、私が相手より先に気を回して終わらせておいた作業があったとする。最初は「うそ、これしてくれたの? 助かったよありがとう!」だった感謝とお褒めのことばが、2回、3回と同じ状況が起こると、そのうちに「さすが!」となる。こう言われると、私(「さすが」と言われる側)の行為の価値は段々と下がっているような感触を覚える。
気持ちはわかるのだ。相手がどんな人物か、それは時間とともにわかってくる。自分が助かる行為を相手に期待しているかは別としても、「もしかしたらあの人なら、やってくれているかもしれない」と頭の中で思うことはある。予想が当たったとき、もしくは予想を超えた行為を相手がしてくれたときにぽろっと出てくるのが「さすが!」なのだろう。何度も言うように自分も言ってしまうし、他意がないことはわかるのだ、わかるんだけどね。
「さすが!」の「!」あたり。「さっすが〜!」とか言われると「っ」とか「〜!」のあたりに、「君ならすると思ってたよ」「君ならこれくらい普通にできちゃうよね」が、透けて見える。そう感じ取ってしまう。少しトゲのある言い方をすると、「こう言っときゃ喜ぶでしょ」とでも思ってるのか?と感じてしまう。
私の後ろ向きな思い込みかもしれない。でも今確認のために辞書で調べてみて、やっぱり意味としてはそうだよね、と改めて思っている。
さすが 【〈流石〉 ・遉・〈有繫〉】
② (以前から考えられていた内容を肯定し強調するために用いて)予想どおりに。期待にたがわず。「―本場の味だ」
引用:スーパー大辞林
例外もある。
他意がないことはわかると書いたけれど、逆に言えば、純粋に褒めていない場合に使われる「さすが」も大体わかる。文字で無理に表すのならば「さっすがぁ〜(笑)」となるだろうか。「よくやるよね」のニュアンスが明らかに含まれているなと感じるときは、まぁ、遠慮なくイラッとさせていただく。ここで「そんな言い方しないでよ!ぷんぷん!」とかかわいくはっきり意思表示できたらいいのかもしれないけれど、あらそう、じゃあもうあなたにはしません、とシャットダウンするあたりに母親みがあるんだろうな。自分がぷんぷん! してる姿を想像してゾワっとした。
あと、初対面レベルの接触で「さすが」を使われる場合。私は就活の面接で、採用担当の社員の方とお会いしたとき(その時点で2回目)に、「さすがです!」と言われたことがある。たしか、もうすぐ雨が降りそうな空模様を心配してくださって、予報を見たので折り畳み傘持ってますと言ったときだった。正直何をもって「さすが」なのかまるでわからなかった。そんなに「天気予報をくまなくチェックして降水確率30%以上だったら折りたたみ傘を持ち歩いてそうな人間」に見えたのだろうか。それは冗談だけれど。その人なりのコミュニケーションの取り方なのだろうし、これまた深い意味はないのもわかる。でも私はこういう使い方はやめようと思った。
わざわざ人と話すような内容でもないためここに書いてみた。昨日のアルバイトで女将さんに「さぁ〜っすが〜!!」と言われすぎた反動である。お小言を言われないためにフルパワーで気を張ってしゃかりきに先回りして動いていたら、もともと苦手だった「さすが」を大量摂取してしまった。ちょっと胃もたれしている。
自分が苦手だと感じることばには気をつけられるけれど、その“苦手”がどこに潜んでいるかわからないから難しい。現に女将さんや、今まで私に「さすが」と言った人のほとんどの場合は褒めてくださっているのだから。
自分が自然に悪意なく使っていることばの中に誰かの“苦手”があるかもしれない、という学びを、忘れないようにしたい。
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