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ひとりごと
何故だろう。詩集を含め、本を読む為に欲する場所が、自宅ではなく日常の延長線上にある非日常の空間なのは。読書が特別なものとは思わない。けれど、特別な場所で読みたくなる。それは、読書は特別な行為ではなくても、手にしている「本」という形には、特別を感じるからかもしれない。
例えば、自分が詩を書く事や書いた詩を、特別なものとは思わないし異質だとも感じない。が、記してきた言葉たちを一冊の形にした時、そこには何とも言えない特別感が生まれたのだ。
だから、沢山の方が作り上げた「本」にはまた沢山の努力や労力や技術、それに伴う長い時間が滲みており、そこに込められた想いがある、と、尊さを帯びた特別感を味わう機会が、馴染み過ぎた自宅のリビングでは、少し勿体ない気がしてしまうからだろう。
ゆったりとした時が流れるところで、傍らの珈琲を飲みながらページを捲ってゆけたなら、至福と。
とは言っても、中々動いてくれない身体で外出も出来ない引きこもりだから、それは贅沢な話なんだけれど。
ふと、そんな事を考えていた小雨の午後。
今日から五月。速い。速すぎる。
何もせず、何も出来ず、見送った時間の背中は遠くなる一方だ。
そしてすぐに夏がやってくる。わたしが生まれた日が今年も訪れる。また一つ歳を重ねる。自分が自分に追い付けない程の老いは、今日も待ってはくれなくて容赦もない。