思いをはせるとき
こんばんは。
先日ライティング時に作業用音楽を探していた際に、ヤッシャ・ハイフェッツの演奏に巡り合いました。
2020年には1960年代の演奏が新たにCD化され、従来のファンに加えて、新たなファンも増えたようです。
7歳にしてデビューを果たしたハイフェッツは、20世紀の巨匠、ヴァイオリニストの王、神のヴァイオリニストとも称された人物。
音楽はもちろん興味を持ったことに対しては極度の完璧主義者であったと伝わっています。
カーネギーホールへの道順を尋ねられた際には、
道に迷った人:カーネギーホールへ行くにはどうしたら?
ハイフェッツ:練習あるのみです。
とあるご家庭にピアノの調律師が訪れた際には、
訪問先の人:調律はお願いしていないのですが…
調律師:確かに依頼を受けております。ご近所のハイフェッツさんから。
なかなか個性的な人物であったようです。
演奏時の映像を目にしても、表情や動きからは情動が伝わりにくいものの、職人のように確実に着実に音を紡ぐ姿。
幼少時から神童ならぬ神の弟子とも称されるほど才能にも恵まれていた人物であったにも関わらず「練習あるのみ」と言い切るだけの努力も重ねたのでしょう。
死して尚、愛される作品を残す才能の陰にはどれほどの努力が必要であったのか。
人の数だけドラマがある。
インタビュー記事をまとめる傍ら、ついつい時代背景や周辺事情を調べてしまうことがあります。
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