よりすな 懐かし文具回を聴いて
今日も今日とて、ポッドキャスト、「よりすな」を聴いている。
『上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」』である。
今日は懐かしの文具の話をしている回を聴いた。
京都の僧侶、鵜飼さんが紹介した、おばあちゃんが鉛筆に噛み付いた消しゴムには爆笑した。
たぶんだけど、上坂さんは私と同世代だ。
しかし、衝撃を受けた。
懐かしの文具、コロンペンとかローラー消しゴムとかポケットカラーペンとか鉛筆型のシャープペンシルとか、懐かしの文具がいろいろ上坂さんの口からマシンガントークでブワーッて出てくるのに、ドクターグリップとハイテックCしか分からなかったし、持っていなかったのだ。
分からなすぎて、今、聴きながら文字起こしをした。
言われてみるとクラスメイトが持っていた気もするけど。
ただ、残念ながら当時私は地元の学校のシステムに馴染めなくて友達もほぼほぼいなかったので分からない。
手紙交換した記憶もない。
プロフィール帳の交換はギリギリやった記憶がある。
が、そんなに自分には回ってこなかった。
そうか、そこでクラスメイトはおしゃれで可愛い文具を使っていたのかもしれない。
我が家が厳しかったわけではないと思うが、思い起こせばそういう流行りの文具はNGだった。
我が家はお小遣い制ではなく、必要なお金を申告する制度だった。
その代わり、必要な文房具は全て親が買い与える、という制度。
お小遣い制にするなら、必要な文房具も全てそのお小遣いの中でやり繰りをしなさい、という制度だったのだ。
なので、我が家に流行りの文具が入ってくる余地がなかった。
私が子どもの頃の流行りの文具は、可愛さと機能性が相反しているというか、もはや反比例の世界。
両親としては、可愛いが機能性に劣る文房具をわざわざ使う必要性を感じないわけで。
私も親の意見に納得していたし、欲しいもの(=本)は買ってもらっていたので、お小遣いを定額で毎月もらう必要性を感じなかった。
そんな流れで、我が家に流行りの可愛い文具はやってこなかった。
私の人間性にも問題があったこともあり、流行りの可愛いものを何も持っていないこともあり、服もおしゃれではないし、小学校高学年〜中学生になる頃には周りに置いていかれていた。
おしゃれなキッズブランドのお洋服を着ている子、流行りの可愛い文具を持っている子。
彼女たちがクラスで幅をきかせていたあの頃、自分はどういう気持ちで彼女たちを見ていたのだろうか。
中学生の頃なんて本当にキツかった時期なので記憶はブチブチにちぎれて朧げだ。
可愛い文具を使って、持ち物から己のおしゃれさを表現していた、いわゆるスクールカースト上位の子たちを私はどういう気持ちで見ていたのかいまいち思い出せない。
羨ましいというよりは、面倒くさいな、相容れない他人だなとしか思えなかった気がする。
羨ましいとか憧れとか強い気持ちを覚えていたら何か違ったのかもしれない。
でも私にはそんなに熱くなれる気持ちはなくて、ただクラスで浮き続けた、というか中学に上がったら嫌がらせにあっていた。
そんな暗黒期を経て、少しはまともに成長し、文具は大好きになった。
今では機能的で可愛い文具がたくさん出ているのでありがたい。
自分で機能的で可愛いと思う文具を買えるようになったし。
ロフトとかハンズ、書店は行く先々で必ず探してしまう。
「よりすな」でこんなに暗黒期の記憶がポロポロ出てくることになるとは思わなかったけど、それでも「よりすな」は楽しいし、今は自分の人生、今が一番面白いと思えているので、いろいろ感謝である。
締めがまとまらなくなってしまった。
1時間も文房具の話で盛り上がるお二人が好きだ。