私の姉妹はソウルメイト
「なんでそんなに仲がいいの?」
そんな風によく聞かれる。
私は、3人姉妹の次女。
上には1つ上の姉、下には5つ年下の妹。
『仲良し3姉妹』というグループラインの通知は、ほとんど鳴り止まない。
昨日は私も、
【今日20日だから、ウェルシアで、WAONポイントが1.5倍で使えるよ!】
とメッセージした。
お互いの近況はほとんどわかる。
子どもが風邪を引いたら、それもシェアする。
旦那と子供の寝相が悪いことも、それもシェアする。
休みの日には、家族ぐるみで集まり、ワイワイ楽しむ。
ショッピングモールや旅行を、一緒に楽しむ。
誕生日やイベントの日には、プレゼントを贈り合う。
私の旦那には、「似たもの同士」なんて言われるほど、
3姉妹は波長が合う。
「なぜ、そんなに仲がいいの?」
周りの人は、そう尋ねてくるけれど、
その質問は、正直どう捉えていいか、わからない。
なんせ、自然なことだから。
なんせ、頑張ってそうなっているわけではないから。
みんなは、違うの?
男女の兄弟だと、違うの?
よくわからない。
だけど、私たち3姉妹は、それが自然だから、そんなに重く捉えなくてもいいか(笑)
3姉妹でよかったと思う。
それは、産んでくれたお母さんに、感謝してもしきれないこと。
◇
そんなお母さんとの関係に悩んで、泣きじゃくりながら幼少期のことをある人に話したことがある。
「そういうお母さんだったけど、よくこんなにいい子が育ったね。
お姉さんも、妹も」
と言われたことがある。
私たちは、周りから見たら、とても“いい子“に見えるらしかった。
でも、幼少期はつらく、苦しかった。
「どうして、家って、安心安全なところじゃないんだろう」
そう感じたこともある。
お母さんから投げかけられる言葉には、
「ボケナス」「バカたれ」「ぼんくら」「使えねえ」「能無し」
そんな言葉があった。
私たちの成績にとても敏感で、いつも目を光らせ、評価を下していた。
できた時には、「すごい!」と褒められ、
できなかった時には、白んだ目で見られる。
『過程』を褒められた記憶がない。
漢字の練習は、凝視されながら。
一画でも間違えると、ゲンコツが飛んできた。
恐怖で鉛筆を持つ手に力が入らなくなった。
それを悟られないように必死でふにゃふにゃなミミズ文字を書いた。
お母さんも、あの時はいっぱいいっぱいだったんだろうけれど。
それにしても、小さい頃の私たちのハートをえぐっていた事は確かだ。
「大好きだよ」
なんて言葉、かけられた事なかったな。少なくとも、記憶には残っていない。
だけど、今なら感じるんだ。
「大好きだよ」って思いながら、生まれたばかりの私を抱きしめてくれていたことを。
目を瞑っても感じられるし、
何より、私の子を抱くお母さんは、何より幸せそうだった。
お母さんって、こんな風に子供を抱くんだ、こんな風に優しく笑うんだ。
そうやってきっと、私も抱かれていたんだと、わかった。
本当は、こんな子育てがしたかったんだろうな、ってこともわかった。
お母さんは、「評価される教育」を受けてきた。
自由を制限されてきた。
だから、お母さんは、気づかぬうちに、親と同じ子育てをしていた。
それが、お母さんの子育てだったんだ。
私が、「子育て」を学んで、実践して、わかったこと。
それは、『負の連鎖は止められる』ということ。
そして、新しい、『自分らしい幸せな子育て』ができるということ。
それは、ただ知識を入れればいいだけじゃない。
世界の流れを知り、
未来を描き、
自分を知り、
自分を癒し、
世代間連鎖を紐解き、
『私の代で変える!』と決意すること。
そして、実践していくこと。
一つ一つ。
丁寧に紐解いて。
見えてきた世界がある。
私は、それを世に届けたい。
多くの世代間の負の連鎖に苦しむママを救うために。
多くの自分を責めてしまうママを照らすために。
1人でも、『子育てって、幸せなんだなあ』って感じられるママを増やすために。
私は、そのために、本を出版する。
絶対に──。
一時期、私たち3姉妹は、
『うちら、3姉妹じゃなかったら、どうなってたかわかんないよ。
あのお母さんだもん』
と苦笑いしていたこともある。
それは本当に。
この3姉妹だからこそ、こうして団結し、自分たちの道を創る方向に
歩を進めてこられた。
いつでも励まし合い、
時にアドバイスをしあい、
本音で関わる道を選んで来た。
私は、姉妹の中でも、地味で目立たない存在だった。
自信をもっている姉に憧れた。
正直で真っ直ぐな妹に憧れた。
自分の色なんてないと思っていた。
でも、いつも姉と妹は、
自信のない私のそばに寄り添い、勇気をくれた。
姉は、学生時代から勤勉で、いつもギリギリで一夜漬けする私に、嫌がらず丁寧に勉強を教えてくれた。
私は服のセンスがなかったから、姉が職場に来ていく服を選んでくれた。
妹は、私が人付き合いが苦手だったから、いつもそばにいて遊んでくれた。
大人になってからは、計画性のない私のアイデアを具現化するためにフットワーク軽く動いてくれた。
もっともっと、数えきれないほどのサポートを、
小さい頃から、私は受けていた。
2人は、私のことを優しく包み込んでくれて、
ここまで導いてくれた。
辛い時も、楽しい時も、喜びも、どんなことも共有できるソウルメイトが、
この姉妹だ。
この姉妹の中に、生まれてよかった。
それは、私の人生にとって、紛れもない「ギフト」だ。
◇
昨日、私は、「企画のたまご屋さん」というところに、本の企画書を提出した。
それを報告すると、姉妹は喜んでくれた。
「すごくいいと思う!」
「葛藤や思い、感情を知っているからこそ、1番に読みたい!」
無事に出版できたら、こうして、いつも背中を押して励ましてくれた姉妹に、
1番に手渡したいと思う。
子育て中の、姉と、妹の、
1番のバイブルになることを願って──。
◇
私が本の企画書を作るにあたって、書き溜めて来たノート。
その1ページ目に、こんな文章を自分で書いていた。
『私が出版する理由。
この本を手に取る方を幸せにしたい。
学を愛するお母さんに。
真っ暗なトンネルの中に苦しむお母さんに。
幸せを、1つ1つ思い出すような旅路を
プレゼントしたいと思った。
私があなたからもらっていた愛を証明するような
1つ1つの愛の軌跡を、胸にほとばしらせるような
そんな本を
私が出版し、製本した本を手に、亡き父と
子育てしたあの幸せな時間が蘇るような
この道は間違っていなかったと信じられるような
責める自分をも慈しむ 愛らしむような、
読むたびに幸せになる本を
“子育てをしていた時は、とても幸福だった“
と遺してくれた父にもプレゼントしたい。
あなたからもらった無償の愛が
後からわかるような、そんな私だったからこそ、
今を生きる人に、【すでに与えられている】と
厳かに気づき、胸を打つ、トリガーになる本が書ける。
お母さんの悲しみにひたる目が
幸せに、1つ1つ気づく目になっていく
過去の出来事が、すべて糧になり、道が拓ける。
お母さんが、心の底から自分を愛せる
お母さんが、周りのみんなから愛されていることに気づける
お母さんの幸せは、私の幸せだ
私ができうる限りの行動をします
どうかこの想いが形になるようご支援ください 』