毎日50分勉強してる?と問われて。
してない。
これが私のすぐに浮かんだ、ちょっと恥ずかしい答えだった。
塾で教えている生徒には毎日1ページずつの課題と塾の90分の夏期講習を教えていながら、自分自身は毎日50分も勉強していない。
こんな矛盾、今まで気づかなかった。
でも、姉が「毎日、こういう風に(note.や媒体で)伝えるために(情報収集等の)勉強していることも勉強時間に入るんじゃない?」と伝えてくれて。
ちょっと勉強の見方が変わった。
私にとっての「勉強」は机に向かって行うことのイメージのままだった。
だから、大学になっても語学の小テストのための単語の勉強や、レポートを書いている時間、文献を読む時間だけが「勉強」だと思っていた。
でも、それだけじゃないのかも。
外に出て、どんな人がどんな行動をしているか。
隣の人の行動、SNSでの人々の反応。
どちらかと言うと趣味に近いような、勉強には思えない行動も、それらを見た時に感じた時に、どう考えたか、まで考えられたら、それも勉強なのかもしれない。
机上の空論、という言葉があるように、実践をしていることも、実は私にとっての勉強だったのかも。そう思うと、ちょっとひとつ大人の階段を上った気がして、また生徒にちゃんと向き合えるような気がした。
もちろん、理論との両軸が大事なことは変わらないから、机の前で「勉強」する時間もとりながら、私らしく「勉強」することも、忘れずにいたい。
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