WHITE OUT
仲良くなりすぎるのはさようならが怖くなる。
私は最近「余白」という言葉についてよく考えている。
キミとの関係は余白なのだとよく思う。
つかず離れずで繰り返されてきた行為はとても利己的だ。
けれども私は気分とタイミングの幻を求めていつも彷徨い歩いている。
欲望の先にはきっと何もないだろう。
そんなことをふわふわと考えていると、
時々キミがキミについて話す時、嬉しい気持ちとどうしていいか分からない気持ちが渦をまく。
ごめんねとありがとうと嬉しいと虚しいと
だから私はあまり自分のことを話さない。
私まで普通の話をすると、キミと私が普通になって、まるで友達のような気分になって、身の丈以上を求めるようになってしまう気がする。
それでもキミがいてくれてとても感謝している。
誰かはこんな関係無駄だと言うかもしれないけれど。
それでも私にとってキミは花瓶の花のようだから。
お気に入りの花瓶に収まった綺麗な花のようだから。
無駄だと言われても必要な余白なのだ。
キミとの時間の記憶はいつも曖昧で、儚くて、一瞬で。
それでいて綺麗で美しい。
体に残る充足感と淡い高揚感だけが私の体に残って消えてくれない。
感覚だけが、それだけなのに、私の魂を揺さぶる。
マッチの灯りが細々と周りを明るく照らすように、じんわりとした余白的温かさをくれる。
マッチの灯りを消して眠りにつくのだけれど、また夜が来たらマッチの灯りが恋しくなって灯してしまう。
花はいつか枯れるように、マッチの灯りもいつかは消えるように、終わりはいつかくるのだろう。
ただ言えるのは、余白の美しさは本来の美しさの裏返しであり、きっと余白があるから本来が活きるのだ。
どんな終わりか分からないけれど、
分からない先のことを案じても仕方がないから今あるキミとの余白が余白でなくなるまではこの美しさの中にいたい。
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