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"いい人"やめてます

最近のわたしは、きっと昔のわたしよりも優しくない。

なにをもってして"優しい"とするかは人それぞれ異なるだろうけれど、わたしの中での"他人に対する優しさレベル"は以前よりも低くなった、と自分で思う。

でも正直、わたしの今までの"優しさ"は、真の優しさではなかったな、とも今になって思う。

他人にどう思われるか気にするあまり、他人の気持ちを優先した結果が、今までのわたしの"優しさ"だったから。

真の優しさは、相手のことだけを想って、相手のために行動できることだとわたしは思う。
今のわたしはできていない、と感じる優しさだ。
それでもかつての"わたしの優しさ"を否定はしないであげたいとも思う。それが昔のわたしなりの優しさであったことに、間違いはないのだから。

わたしのちょっと歪んだ優しさは、外部へも優しさとして伝わり、受け入れられていた部分も多少なれどあると思う。
だけどそれは、結局は自分の保身のための行動でしかなかった。

わたしは人から嫌われるのが怖かった。
だから、相手から自分へ向けられる気持ちを気にして、自分なりの方法で、嫌われないように行動するクセがついてしまったみたいだ。

つまりわたしは、"いい人"ぶっていた。


こうして他人の気持ちを一番に気にする生活を続けると、他人の気持ちと自分の気持ちの境界線が曖昧になる。
まるで、他人の気持ちが自分の気持ちのように錯覚し始める。

今までわたしは、自分の気持ちより、人がどう思っているか、自分が人からどう思われているかのほうが気になって、自分の気持ちにあまり目をむけてこなかった。

わたしは、自分の気持ちがわからなくなりはじめていた。
それはずっと無意識下で、半自動的にわたしの中で行われていたから、その事実になかなか気がつけなかったのだけれど。


そんな中、今年に入ってから、自分の本当の気持ちにもっと目をむけようと意識するようになった。

他人の気持ちを優先させて、自分の気持ちをないがしろにしていた自分がいたことに気がついた。

自分の中の"本当の"気持ちを知るのは、実はけっこう大変で。見栄や承認欲求、その他いろんなフィルターを外さないと見えてこないことがたくさんある。それらの表面上の感情や思考を、自分の本当の気持ち(願い)だと勘違いしてしまうことも本当に多い。今のわたしは、自分の中の本当の気持ちをキャッチするための修行中。

今のわたしは、もっと自分の気持ちを大切にしたい、自分の気持ちを優先させてあげられるようになりたいと思っている。

だから、人からなにかお願いされたりしても、自分が乗り気ではなかったら断ることが格段に増えた。(断りきれないこともあるけれど。)

話しを聞いていて、もうあまり聞きたくないな、と思ったら、話題を変えたり、それを指摘できるようにもだんだんとなってきた。

それはたとえ、相手が大切な友人だったとしても。

昔のわたしだったら、断れなかったり、延々と話しを聞き続けていたと思う。
相手の気持ちを考えて。相手の気持ちを思って。
(それは結局わたしのエゴだったんだけどね。)


だから、今のわたしは表面上では、昔より優しくない人間になっていると思う。

こんなわたしからは人が離れていくんじゃないかって、ひとりのときに考えると、ときどき怖くなる。
でも、もう自分に嘘をつけない。というか、つきたくない。

いやなものには、いやだって、そう言えるようになりたい。

もしかしたら最近のわたしは自分を優先させすぎてしまっているのかもしれない。
そこのいいバランスが、まだ自分の中で確立できていないから、比重が自分ばかりに傾きすぎているのかもしれない。

それでも、もうただの"いい人"にはなりたくない。
ちゃんと自分のことも大切にしながら、自分の周りにいる大切な人たちを、ちゃんと大切にできる人になりたい。

だから今は、昔のようには優しくなれない自分のこともちゃんと受け入れて、自分の気持ちに寄り添ってあげられる、そんなわたしでいたいと思う。


2024.09.07


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