少し先を歩く人たち
自分より少し先を歩いている人のことを、意識的とはいかないまでも、見ている気がする。その人たちを見て、5年後、10年後の自分はこういう人になっていたい、こういうふうにはなリたくないと心に刻み、目指したい方向を確認するように。
そんなことを考えたのは、勤めていたころ同じ部署で働いていた女性からの年賀状に「高齢者向けマンションに転居しました。終の住処です」とあって、「えっ」と少なからず驚いたからだ。
私がまだ入社2年目くらいのときに別の部署から移ってきた彼女。ひとまわりくらい上の先輩で、美人で仕事ができて評価も高く、他の女性たちからは「いろいろと大変かもね」などと含みのあることを言われて、まだ20代前半の私は多少なりともビビっていた。
ところが実際に配属になった彼女は、確かに美人で仕事ができる人だったけれど、とても物腰が柔らかく、何か判断する時には慎重にいろいろなことを考慮し、いつも笑顔の印象がある人。異を唱えるような場面でも、真剣な表情なのだけれど、どこかのほほんとした雰囲気のある人だった。相手に威圧感や嫌悪感を与えない分、そうでない場合よりも物事がスムーズに運ぶような印象を持った。
当時の仕事は、企業に出向いて輸出入の動向や見通しなどをヒアリングするというもので、数字の見方からなにから全くと言っていいほどわからない私にさまざまなアドバイスをくれたりした一方で、こんな年下の私にも頼ってくれることもあり、あっという間に彼女を大好きになった。
ランチや夜ご飯も一緒に行き、仕事の話だけでなく、恋バナなどにも花を咲かせ、いろいろな悩みも聞いてもらった。
その後、私は部署を変わり、これまた全く向いてない秘書業務に移動になったときは、以前同じ秘書業務をしていた彼女から「こういう時はこうした方がいい」とか「そんなこと気にしなくて大丈夫」とか励ましてもらってばかりいた。
「いつか先輩という立場になった時、こんなふうに頼れる人になりたい」「彼女みたいにいつも柔らかい表情でいながら、凜とした佇まいの女性になりたい」と思ったものだ。会社の先輩としてだけでなく、女性としてお手本にしたいと思うようになった。
私は10年勤めてその会社を辞めてしまったけれど、彼女は定年まで勤めてリタイアした。その間にお会いする機会は減ってしまい、最近はもっぱら年賀状だけのやり取りになってしまったけれど、海外も含めていろいろなところに旅行するなどして人生を謳歌している様子で、もう70代だな、相変わらずお肌ツルツルなんだろうなぁ、なんて勝手に想像していた。
そこへ冒頭の年賀状が届いたのだ。
「ドキリ」とした。「え、もうそんなお歳?」。結婚されていないから先のことを考えての決断だとすれば、そんなに驚くことでもないか。むしろ元気なうちに終の住処を決める、ある意味理想的なことかもしれない。でも、ずっと暮らしていた場所を離れ、一人で「高齢者専用マンション」に引っ越すのは、その過程もすごく大変だし、何よりその決断にはかなり勇気のいることではないか。どれほど悩んだのか、あるいは悩まなかったのかはわからないけれど。
とても潔い。自分なら果たしてそう決断できるだろうか。悩みに悩んで、元気なうちは結局先延ばしにしてしまいそうだ。潔い人に、私もなりたい。
潔い、で思い出す、こうありたいなと思う、先を歩く女性がもう一人いる。今年91歳になる義母である。
結婚当初から私たち夫婦への接し方は、世間一般とは少し違っていた。ひと言で言うなら「いい意味で、無関心」。
とりわけ用事がないのに義父母から電話などがくることはなく、さすがにご無沙汰しすぎでしょと思って電話をかけると、ふつうに楽しく話はするものの、しばらくすると「で、今日は何か用事だったの?」と聞かれる感じ。義父がちょっとした病気で入院した時は一切連絡はなく、事後報告。どうしても手を貸して欲しいことがあった時のみ、電話がくる。だから、電話が来ると言うことは本当に困っているということだから、私は全力でサポートしようと努める。不思議なもので、自然とそう言う気持ちになる。
80代半ばを過ぎ、義母が体調を崩して入院した時も、手続きや医師の説明を聞くときなどは一緒に聞いてとお願いされるものの、「退院する時は一人でタクシー呼んで帰るからいいわよ」と言われる。
さすがに一昨年、義父が施設にお世話になることになった際には、オットが何かとサポートする場面があったし、しなくてはいけない場面ではあったけれど、それでも世間一般の同じ状況から比べれば、義母の有り様はあっぱれというほど自立している。昨年、血便が出た時も一人で内視鏡検査を受けに行って、病院のほうがびっくりしたようで「お一人ですか」と心配し、息子であるオットに電話がかかってきたくらいだ。ドアツードアで小一時間の距離に住んでいるのに「なんて冷たい息子夫婦なのか」と思われているに違いない(笑)。
一応言っておくが、家族仲が悪いわけでは決してない。そこはご安心を。私も結婚当初はこうした親子関係に少し戸惑ったけれど、嫁としては楽な思いをさせてもらっている。世間から見ると間違いなく「ダメダメな嫁」だけど、義父母のおかげで嫁として嫌な思いをしたことは一度もない。
私もこんなふうに歳を重ね、80代、90代を迎えることができるだろうか。今のままではたぶん無理。
「少し先を歩く」人を見て本当にこうありたいと思うなら、思っているだけではだめで、そうなる意識を持ち、努力をしなければならない。何か問題が発生したり、対応すべきことが出現したりしたとき、私はすぐに誰かに頼ろうとする。まず自分の頭で考える。行動する。それでも誰かに相談しなければどうにもならない場合は、きちんと言葉で状況を説明して助けを求める。察してほしい、などと思ってはダメなのである。
今年は私の実家を手放そうかという話になっている。一つひとつ対応していかなければ先に進まないし、簡単なことではないだろう。イライラしてしまう時もあるだろう。でも、落ち着いて、しっかりと考え、周りのペースにも歩み寄りながら、問題を一つずつ解決し、できることを淡々と進めよう。時には大きな視点で物事を考えなければならない場面も出てくるだろう。
かかわった家族全員が笑顔で「これでよかったね」「わたしたちがんばったね」と言える未来の一点を目指して。一つひとつの過程を着実にたどり、そうしてそこにたどり着けば、こうなりたいなぁと思う「少し先を歩く人たち」に一歩近づけるような気がしている。