ギャップイヤーという選択をした私の話:おわりに
ギャップイヤーを取得して、そして今のお話。
その2はこちらから
時が経つにつれ、私にとっての「ギャップイヤー」が徐々に形を成していきました。
そして今、私は大学院に行くことが決まっていて、もう少しでこのギャップイヤーを終えます。振り返って思うこと、そして今の気持ちを記してみます。
バッテリー交換と、充電と。
一つが週一。もう一つは週二。どちらもリモートワーク。
前回お話ししたように、私がこの期間で主に行っていたことは、NGO二団体でのインターンです。(+後半は議員さんの下で短期のインターンもしてみました。需要があったら書くかも、かもしれない)
「ギャップイヤーでそれ以外何もすることがないのだから、フルで入ってもよかったのでは?」って質問もあるかもしれません。
けれど私の場合は、この期間をインターンだけに捧げるのではなく、自身のセルフケアにも使おうと考えていました。いつの間にやらすり減らしてしまった、私の心をその時はとくに大切にしたかったからです。
やっぱり私は「ほのぼのゆるく」が好き
隔週に一回。
それは、カウンセリングのこと。
大学四年生でいわゆる適応障害と診断を受け、それ以降ずっとカウンセリングに通っており、歴は1年と少しくらいになったかと思います。
自分の気持ちを守られた空間で吐露できるのは、非常に大きかったです。
自分が元気だと思っていても、実際は内側に溜め込んでいるということは往々にしてあって、そんな無意識に元気アピールしてしまう、自身の「クセ」にも気づけたり。
そんなこんなの活動から導き出されたのは、
やっぱり私は「ほのぼのゆるく」やっていくことが好き、ということ。
こんな忙しい世の中だけど、
私の「好き」はそれとは対角線上にあるみたい。
ギって打つと、ギャップイヤーが出てくる、いまの私。
私の場合、カウンセリングはちょっと特別な事情ですが、ギャップイヤーという「何をするにも自由」な期間は、否が応でも自分と向き合う時間が長くなります。
「自分はどのペースに、心地良いと感じるのか」
「どんな環境が好きで、どんな時にモチベーションが上がるのか」
そうやって自分と向き合って、自分を知っていくこと、
これがギャップイヤーというものの、一番の醍醐味なのではないでしょうか。
再考「進学、就職をせず、ギャップイヤーをまずは取る。」
この決断をしたことで失った機会も多くありますが、それでも自分の人生でギャップイヤーを取ってよかったと振り返って思います。
インターンを通じて知り合った素敵な方たちや、趣味から少し飛び出して得たいろんな色の思い出たち(ギャップイヤーのコミュニティ参加、対話型鑑賞、エッセイの公募、寄席の観覧、選挙のビラ配りまで!笑)。
空っぽだった私の荷物は、今や新鮮な水や食べ物、懐中電灯に、思い出アルバムまで、これからの旅に必要なものを十分すぎるくらい、周りから分け与えてもらいました。
もし今、空っぽのバッグを持って佇んでいる人がいたら、そっとその肩を叩かせてください。背中までは押せないかもしれないけれど、「ここにこんな人間がいますよ」って、存在を知らせることくらいはできるかも。
いろんな話がごちゃまぜで、さながら百味ビーンズみたいな内容になってしまったけれど、読んでくれた方が、どうかおいしい味のビーンズに出会えたことを祈っています。
わたしのこのnoteが、誰かにとっての鼻くそ味になりませんように!