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初めての外国ひとり旅が中央アジア周遊だった話
「海外一人旅」と聞いて,どこの国のことを思い浮かべるであろうか.中国,東南アジア,インド,あるいは欧州諸国を渡り歩く往年のバッグパッカーの姿を思い浮かべる人もいるだろう.初めて外国にひとりで行くという場面であれば,韓国や台湾などの近隣諸国を想像する人もいるかもしれない.しかし,私の場合,はじめての海外一人旅がアゼルバイジャン,カザフスタン,キルギス,ウズベキスタン,タジキスタンの旧ソ連圏5か国を周遊するものであった.しかも,それぞれの国(とトランジットの中国)で何度もトラブルに巻き込まれてしまった.
旅の準備
旅の準備は,航空券を押さえることに始まった.どんなルートで取ろうかと,頭を悩ませる.当然直行ではほぼ行けない地域であるがゆえにいろいろな経由地を考える.ドバイ経由,上海経由など,いろいろな都市を予約サイトに入れて考えてみる.あるとき調べてみると,「北京・バクー経由」というのが一番安くなった.ウズベキスタンから見てアゼルバイジャンは日本と逆方向にあるのに,不思議な感覚である.
次にやったことは,現地の鉄道・バスなどの事情を調べること,簡単なロシア語(と現地語)を覚えること,変換プラグや会話帳をそろえることである.鉄道もバスも,当然日本語で調べても出てくるわけがないので,英語で検索を行い時刻を調べ,手配するところまでやった.
旅の事件簿
アゼルバイジャン
この旅の道中の事件簿は,アゼルバイジャンに到着したその日から,すなわち初めて一人で外国の土を踏んだ日より綴らなければならない.白タクの客引きを脇目に空港のリムジンバスに乗り,市街地に到着した.そこまではいいが,その先で乗る路線バスを間違えて市街の東郊のどこかの幹線道路に連れていかれてしまった.どこにいるかもよくわからないが,その道路では朝の通勤ラッシュが起こっており,バスは満員,良くて席がすべて埋まっているほどである.
仕方がないので,会話帳を開き,言うべき表現をなんとか押さえる.とりあえず来たバスに乗って,運転手にロシア語で「駅に行きたい」と話しかける.水色のモスクを窓から見ながら,そのバスの終点に到着すると,運転手がジェスチャーでこっちのバスに乗れ,と案内する.乗り換えた先のバスに乗り換え,なんとか28 May 駅に戻ってきた.2時間ほど経っていた.
タジキスタン
タジキスタンへは,サマルカンドのバスターミナルからマルシュルートカに乗って向かうことにした.マルシュが終点に着き,乗客皆で国境のゲートへと向かう.しかし,日本人は私一人であるし,自分だけイミグレで止められ「タジキスタンってビザ要ったっけ?」という顔をされる.
何とかゲートを抜け,タジキスタンに入る.道端の闇両替に声をかけ,ひとまずタジキスタンの通貨を手に入れる.せっかくなのでとパンジャケント行きのバスを聞こうとするが,「そんなのはないぞ」とそのまま白タクシーに乗せられてしまう.遺跡や市内のバザールに楽々行けたのはよかったのだが,もちろんぼったくりであり,おそらく相場の2~3倍であろう1万円弱を請求されてしまった.
ウズベキスタン
アゼルバイジャンから飛行機に乗って目指した国は,ウズベキスタンであった.ここはシルクロードの中間地点・サマルカンド.この駅から寝台列車に揺られて首都タシュケントに戻ろうと,夜の駅に向かった.日本料理店を過ぎ,駅前のベンチで腰かけていると,突然物乞いの子どもがあっかんべえとしながら,手のひらを差し出してきた.これは財布ごと取られかねず危険だと思い,15kgほどの荷物を担いで漫画のように駅舎めがけて走った.物乞いもこれに負けじと追い掛け回してくる.仕方がないので,木立のところで隠れて息を殺した.しばらくして隙間の所から元居たところを確認すると,先ほどの子どもがついに観念して腰を掛けていた.それを見てから,駅舎に入った.
キルギス
ビシュケク市内の観光を終え,宿に戻ろうとバスに乗ったら,ついにスマホの充電が切れてしまい現在地がわからなくなってしまった.しかたがないので「地球の歩き方」の地図を片手に歩こうとするも,住宅街の中に紛れ込んでしまう.どこにいるかもわからなくなったので,通行人に地図を見せながら「ここに行きたい」とロシア語で尋ねた.この質問を何人かに尋ね,彼らがなすジェスチャーを頼りに,未舗装のぬかるんだ道を延々さまよい歩き続けた.これを続けるうち,ある青年に話を聞くことができた.ついに英語ができる人に会えた.彼だけは英語で詳しく道を案内してくれた.彼の教えてくれた通りに道を歩き,彷徨い始めてから1時間強で,ついに宿に戻ることができた.
旅の思い出話
アゼルバイジャン
突然知らない青年から話しかけられ,怪しくなかったのでついていったら,着いた先はおいしいレストランであった.
土産物屋で売っていたマグネットに「ナゴルノカラバフはアゼルバイジャン領」と書いてあった.
バクー郊外のツアーに参加したら,泥火山に向かう道なき道をシートベルトのない車で爆走した.
レストランでフィリピン人女性と会席し,日本に関する質問に答えた.
ウズベキスタン行きの飛行機に乗ろうとしたら,後ろが日本人であった.
ウズベキスタン
サマルカンドの世界遺産に指定されている建築物に舌を巻いた.
サマルカンドで突然,日本語を勉強中のウズベク人に日本語でで話しかけられた.
サマルカンドからシャフリサブスに向かう途上,休憩地点が盆地を見渡す絶景の東屋であった.
タシュケントで,大鍋で調理されていくプロフを見た.
ウズベキスタン→キルギスの国際バスの通路で,イスラム教の礼拝を行う人の姿が見られた.
タジキスタン
断食の時期だったため,レストランがこれ以降に訪れた国(ウズベキスタン,キルギス,カザフスタン)に比べてもガラガラであった.
パンジャケントの遺跡にて会った,羊を飼う小さなきょうだいの姿が印象的であった.
川を越える橋が,いまにも崩れそうな板敷きのものであった.
キルギス
ウズベキスタンからキルギスに向かうバスに乗っていたところ,ウズベキスタン→カザフスタンの国境では大雨だったのに,カザフスタン→キルギスの国境では凍てつくような猛吹雪であった.
このバスに乗っていたところ,ウズベキスタン→カザフスタンの国境で1時間ほどバスが出てこず,インド人男性とキルギス人女性と私とで小屋の中に退避し会話に花を咲かせた.
ビシュケクのチャイハナで席に座って待っていたところ,現地人と同席させてもらい,しかもおごってもらえた.
カザフスタン
キルギスからカザフスタンへの国際バスで,車窓に草原を行く馬の姿を収めた.
宿の予約を忘れ,「地球の歩き方」片手に宿を探して街を歩いた.
ロシア式サウナに入ったら,深さ2mほどのプールで溺れかけた.
レストランでラクダの肉を食べた.
帰りの飛行機で横に座っていたカップルが,日本旅行に向かうところであった.