星を見る者と物語の終わりの光
私の愛するmay in filmが物語を終えて幾日か。
変わらない日常というものはやってくるもので。
笑顔で送り出し、自分であんな怪文書を書いておきながら、まだあの日のセトリを聞いては、しんみりする。を繰り返していたが、ようやく徐々に落ち着きは取り戻してきているのではないかと思う。
ちなみに今朝ななせさんの新しいアカウントが発表されてガッツポーズをしたのは秘密だ。
あの日から何度も、何度も聞いては曲のことを、may in filmのことを考える。
彼女たちは今まで全力で走ってきた日々が終わって、今は休めているのだろうか。新たな生活に向けて、もう動きはじめているななせさんにもう少し休んでもろて。。とも思うが、ふゆのの人間としては生きる糧を与えられて狂喜乱舞をする朝である。
と、思ったら全員が新しいアカウントを出してくれた。
狂喜乱舞に拍車がかかる。
「またね」と言ってよかった。
まだ続けられるのだ。
それぞれの活動になろうとも、彼女たちの物語の続きを見られる。
あまりのうれしさに小躍りしたい気分だ。
想えば私にとってはじめての「卒業」だった。
「解散」も「卒業」も経験したことがなかった。
もちろん好きなバンドが解散したことはある。
だが「残念だな」くらいの感情で向き合えるレベルだった。
ここまで、ライブ翌日に感情が迷子になるほどの「卒業」ははじめての経験だった。
なんとも幸せな人生を歩んでいたようだ。
ライブ翌日、職場で先輩に声をかけられた。
「大丈夫?なんか元気ないよ?」と。
職場に私情を持ち込むのはよくない。
わかっていながらも、態度には出てしまっていたようだ。
事情を説明したら先輩は「それは、時間がたつのを待つしかないね、よく出勤したね」と寄り添ってくれた。
彼女もまた、大切な人との別れを経験しているからこその言葉だと思った。
あの日から繰り返す曲は、もちろんセトリが中心だが、その中でも
何度も「スターゲイザー」と「スターライト」を交互に聞いている。
物語のはじまりの曲と物語の終わりの曲。
対になるのかは、1ファンの私の少ない脳と語彙力では語ることはできないが、この2つの曲に思いをはせる。
思いをはせるといえば聞こえはいいが、実際はとにかく語りたいだけだ。
語れるほどの文才もないからこその怪文書だが。
<スターゲイザー>
もしも私の生命に理由があるなら
きっと片手で数え切れてしまうだろう
いつも諦める理由ばかりを探していたんだ
そんな日々とは今日でさよならさ
幾千も息絶えた夢の上から それでも新しい夢を見続けている
星空に煌めいた光に私はなれるかな
少し怖いけど あなたを照らしてみせる
約束をしよう デイドリーム・スターゲイザー
息を吸おうと誰もそれを咎めはしない
自由に生きることに許しはいらない
だってその自由の中にこそ 私が私である理由があるんだ
分かっているよ 幾星霜 積み上げた常識を壊して
いつでも新しい答えが未来を創る
怯えてた スターゲイザー 光はどこにあるんだろう
でもねあなたと 歌うたびに強くなれる
震えた声でも決意の歌を
何故人は声を持つのか 産声を上げ生まれるのか
きっと理由があるんだ
何故人は歌を歌うのか それが人の胸を打つのか
きっと隠している 本当の声を
駆け出した スターゲイザー 光はここにあるんだよ
私ひとりじゃ見えないままだった
暗闇を切り裂いた声 どこまでも連れていくよ
その手を離さないでね まだ少し怖いけど
それでも歌うよ だって約束したでしょう?
デイドリーム・スターゲイザー
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「少し怖いけどあなたを照らしてみせる」
「でもねあなたと歌う度強くなれる震えた声でも決意の歌を」
今聞くと、初期の曲、はじまりの曲だからなのか
歩み始めたことへの不安はあるけれど
これから迷わずに着いてこいと導いてくれるような
力強い決意を感じさせる
「自由に生きることに許しはいらない」
幼い時の私に伝えたい。
私はそれなりに、それなりの育て方をされた。
今思うと、自由でありそうで自由でない。
かなり親の思想を押し付けられた(言い方は悪いが)育ちをした。
「〇〇がしてみたい」「でも怒られるな」「ダメって言われるな」
常に顔色をうかがうような生き方をしていた。
今は違う。
当たり前なのだが。
「私は私」「物語の主人公は私なんだ」
ようやくそう思えるようになったのはいつだったか。
何事も始めるに遅いことはない。
誰の許しもいらない。
自分という物語の中の少女(現在は少女ではない)は
自由に生きることを覚えたんだ。
(なお、完全に個人の主観なので異論は認めます。)
「何故人は声を持つのか 産声を上げ生まれるのか
きっと理由があるんだ」
「何故人は歌を歌うのか それが人の胸を打つのか
きっと隠している 本当の声を」
ライブ後に、今更ながらmay in filmというグループ名の由来についてを考えた。本当に今更ながら。
プロデューサーの白井さん曰く
「5月生まれの女の子にメイという名前をつけるセンスに感銘を受けた記憶が強く残っており、メイという名前に少女の人格を宿して「may in film(物語の中の少女)」という意味を込めてグループ名をつけさせていただきました。」とのこと。(対談引用)
白井さんの物語の中の少女は、どんな願いを込められて産声をあげたんだろうか。
誰かの救いになるように。
誰かを導く光になるように。
スターゲイザー(星を見つめる者)として。
どこまでも連れていけるように。
共に成長しよう。
あるいはこの物語の少女の成長を夜空の星のように見守ってほしい。
そんな意味でもあるのだろうか。
(再度言うが完全に個人の主観です)
7月3日のライブの時、スターライトの後にスターゲイザーを聞いた。
「怯えてたスターゲイザー 光はどこにあるんだろう」
物語の中の少女が探していた光は、3年の時を経て見つかった。
そして物語は「スターライト」へ繋がる。
そんな風に感じた。(再三言うが個人の感想だ)
ライブの時にはそこまでの考えはできなかった。
そこがすごく悔しい。
歌詞を読みこんでいたはずなのに、あの瞬間は曲を聴くこと
4人を見ることに必死になって曲を理解することができていなかった。
それだけの感動を与えてもらっていたからいいのだが。
何度も言うが少ない脳で考えたものであり明確な答えはない。
<スターライト>
惹かれ合う僕らのスターライト 君と見つけたんだよ 解けない約束を
空に弧を描いて飛んでいく 星のあとを追っていく
あの日と変わらない心で
片手に携えた理由と もう片方に君のこと それだけが守りたいもの
小さな約束を交わして まだ震える手で君と結ぼう
惹かれ合う僕らのスターライト 互いに今光り出した
この星と何度出逢えるだろう
巡り逢いと別れを重ねた光が 今 僕らの答えだ
誰にも見せないはずだった 臆病な私のこと
胸の奥にしまい込んでいた
それは次第に滲んでいて 音や言葉に忍ばせた
君に受け取って欲しかったんだ
額縁に飾った絵 日陰に咲いた花 君は憶えてる?
響き合う僕らのストーリー 互いに形は違った それなのに重なって見えた
君から受け取ったもの それと同じだけの 高鳴りを渡したい
1つ 2つ 声を上げる 3つ 4つ 映画のようだ
1つ 2つ 君と歩いてきた日々
1つ 2つ 声を上げる
3つ 4つ また何度でも
1つ 2つ 夢を見よう
惹かれ合う僕らのスターライト 互いに今光り出した
どこにいても見つけ出すよ
巡り逢いと別れを重ねた光が 今 僕らを照らした 降り注げ 星達よ
1つ 2つ 声を上げる 3つ 4つ 映画のようだ
1つ 2つ 君と歩いてきた日々
1つ 2つ 声を上げる 3つ 4つ また何度でも
1つ 2つ 夢を見よう 僕らの答えだ
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3年間の彼女たちの旅路の中で見つけた光はどんな光だったんだろう。それは誰にもわからない。
「映画のようだ」
may in filmという物語は小説というより映画だったんだろう。
後輩から多少の解釈を聞いた。
「それもまたひとつの答え」であり「私の答え」は違ってもいい。
それを前提として読んでほしい。
「額縁に飾った絵 日陰に咲いた花 君は憶えてる?」
幾星霜の日々。
世界の酸いも甘いも吸って、やっと花開いた(エンディングストーリー)
幾星霜という言葉の意味を考える。
長い年月。
喜びだけじゃなく、苦しみも悲しみもあっただろう。
酸いも甘いも吸って、たどり着いた先で咲いた花。
それを物語を見守ってきた人々は憶えているだろうか。
この物語は永遠じゃない。
終わりがあるから出逢えた。
はじまりがあれば終わりがある。
これからそれぞれが別の道を歩んでいく。
それぞれの新しい物語がはじまる。
「どこにいても見つけ出すよ」
離れたとしても心は繋がっている。
繋がる心が力になる。(私の好きな某ゲームの受け売りだが)
「惹かれあう僕らのスターライト 互いに今光だした」
私にとってのmay in filmというグループは例えるなら「光」だった。
光という言葉をひとつとってもいろいろある。
太陽の光のようなまぶしさ。
春のあたたかな日差し。
may in filmは「夜空の星の光」だった。
淡い、儚い、だけど常に導いてくれる光。
この物語が終わりを迎えても
確かに光は残る
1人1人違う物語を生きている中で
出逢い、重なり、互いに光る
なら互いに、また 何度でも 夢を見よう
行く道が変わっても、ここまで歩んできた道はかわらない
この日々が、出逢えた奇跡が
次の物語をまた作るから
本当に漠然とだし
それぞれの解釈は違うから
きっと私の怪文書は「それは違くない?」と感じる人もいるだろうけど
ただ、私はスターライトという曲は
終わりであり、はじまりだと感じられた
そう感じられるのも、彼女たちの新しい道の
はじまりを垣間見ることができたからだろうか
これからも繋がっていられる
前を向く勇気をもらえた
may in filmに対する気持ちは消えない
「これからも救うよ」
may in filmのななせさんが私にくれた最後の言葉
星を見つめる少女が見つけた光を
これからも大切にしたい
それは私を導いてくれる光だから