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二度と来ない朝に想う…

神々しい朝日から始まる1日。
あたりまえのようにやってくると思ってるけど、
実は、明日が来るのは、あたりまえじゃなくて…
歳を重ねると、今日も目覚められたことに、
感謝できるようになってきました。
人生半ばを過ぎてる、公認心理師 高杉ゆう子です^_^

年をとった…と言えばそれまでですが、
生きてると、突然いのちを失った方に出会ったり、
愛おしいいのちを亡くした方と関わったりする場面もあり、
いのちについて考えることが増えていきます。

若い頃は、ちょっと自分の思い描いた通りに生きられないと、
「自分は何故生きてるのだろう」とか、
「消えてなくなってしまいたい」とか、
思ってしまってました。

でも後に師匠から教えられたのは、
「死にたいは、生きたい」という真実でした。

「いのち」ってのは、必ず終わりが来るもので、
限りあるものです。
生きていなくていい「いのち」はないし、
生まれてこなければよかった「いのち」だってどこにもない。

いのちを発端とする食物連鎖を考えても、
自分の体を含めたいのちに思いを馳せても、
何かが欠ければ、たちまち調和は崩れて、不協和音が鳴り始めます。

ということは…

なくなっていいものなど、
地球上のどこにもないのではないかと思うのです。

先日、ある方からこんなお話を伺いました。

「人は二度生まれる」

1度目は、この世に生を受けた時。おぎゃあと、生まれた時。

そして2度目は…
そのいのちが、役割に気づいた時なんだそうです。

素敵な言葉…って思いました。

あなたが、今、どんな状況であろうと、
どんな環境で生きていようと、
「いのちがある」ってことは、そのいのちに役割があり、
2度目に生まれる時を待ってるのだと思います。

いのちある限り、このいのちでできることをする。
それが「生きる」ということなのかもしれないですね。

なんだか、抽象的で壮大な話になってしまいましたが、
最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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