【自戒①】目に見えないものが全てではない
皆さんお疲れ様です。
少しずつ暖かくなり、朝も明るくなってきましたね。
梅の花も綺麗です。
春が近づくと、心に形容しがたい焦りと寂しさを感じます。
前置きはこのくらいにしておきまして、今日は自分への戒めの記事です。
「目に見えるものが全てではない」
聊か手垢のついた表現ではありますが、自分は昔からこのフレーズが好きでした。
この表現の背景には、「目に見えるものが一般的に重要視される」という前提があります。そして、物質的なものに惑わされ、大切なものを見失いがちな人々に警鐘を鳴らす言葉でもあるかもしれません。
ですが、何事もバランスが大事なようで。
自分の場合はいつからか、「目に見えないものが全て」になっていたとふと気が付きました。
「目に見えるもの」を余りにも軽視し、無価値なものであると見なすようになっていました。
皆が欲しがる「目に見えるもの」を避けて、自分の頭の中で「目に見えないもの」を積み上げていく。
それでも、自分の意思とは無関係に、私にも備わっているこの両の眼から、否が応でも何かは目に入ってきて、私の中に「目に見えるもの」を残していくわけで。
完全に「目に見えるもの」から自由になれるはずもなく、ただただ、それを意固地になって否定していたような気がします。
でも、よくよく考えてみれば、「目に見えるものが全てではない」という言葉には「目に見えるものは悪いもの」という意味は含まれてはいないわけで、あくまでそれだけに囚われてはいけないという程度の言葉であるはずなのです。
「目に見えるもの」にもいいものも綺麗なものもたくさんあるわけで、私は自分の思い込みでそういったものの多くを見落としてきたことに気が付きました。
心とか精神とか思想とか愛とか信念とか、目には見えないものが大切なことは、自分の中では揺るがないことですが、目には見えないそれらの多くが「目に見えるもの」ありきであるということもまた事実でしょうし。
多くの人には当たり前の結論かもしれませんが、自分は今更それに気づきました。
春が来て、また新しい1年が始まったら、「目に見えないものが全てではない」という言葉を胸に世界を見ていきたいと考えています。
そんな感じの自戒の記事でした。
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