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【母と娘の物語】1枚の絵を描くように生きる

「働いて欲しくない」
幼い頃の私は母にそう言ったらしい。

そんな風に言ったことを私は全く覚えていなかったが、母がなぜ私が小学生の高学年になるまで専業主婦だったのか、理由を聞いたとき、私がそう言っていたことを話してくれた。
他にも理由をいろいろと話してくれていたと思うのだが、自分がそんなことを言ったんだと衝撃的でずっと心に残っていた。

私の気持ちを優先してくれた母に改めて感謝の気持ちが湧く。
しかし同時に、母は私の言葉のせいで自分のキャリアを長いこと中断させてしまったのではないか。
そんな風に気になってしまった。

母は絵が得意で、独身時代、イラストレーターの仕事をしていた。
「この看板はお母さんがデザインしたんだよ」
「このパンのパッケージは昔お母さんがデザインしたやつでまだ使ってくれてるんだね」
そんな風に話してくれることがよくあった。
そんな話を聞く度に、すごいなと、とても誇らしかった。
仕事はとてもハードだったそうで、結婚を機に仕事は辞めたそうだ。
仕事を辞めても母は、私が小さい頃から絵でいつも私を励ましてくれたり、喜ばせてくれたりした。

小学1年生の頃、真っ赤な無地の下敷きを使っていた。
ある時、友達に赤い下敷きは呪われると、今思えばなんだそれと笑えるような話を本気で真に受け、落ち込んでいた。
私呪われるかもしれない、と。
母はそれをみて、下敷きに当時私の好きだったアニメのキャラクターを上手に描いてくれた。
呪われた赤い下敷きを、大好きなキャラクターが描かれた自慢の下敷きへと変えてくれた。
絵の魔法である。
私が就職活動をするときには、私がリクルートスーツで旅立つ姿を表現した絵をプレゼントしくれた。
就活の時はもちろん、社会人になってから初めての一人暮らしの部屋で、その絵を見るたびに、母の応援を思い出しては奮起した。
これといった特技もなかった私は、絵が得意で、そんな風に絵で人を喜ばせることができる母をとても尊敬していた。
そして、絵を描く母は楽しそうに見えた。
だからこそ、絵とは関係ないパートをしている母が少し勿体ないような気もしていた。
絵に関わる仕事を少し再開した時もあったが、簡単には上手くいかない様子に、キャリアが途切れることの怖さも感じた。

実際に、自分も社会人になり結婚し、今後のキャリアを思い悩むようになった。
私は仕事が好きで、承認欲求も強く、あまり専業主婦は向いてないように感じる。
一方で、子供はまだいないが、それでも仕事と家庭の両立の難しさを今の時点で感じる。

そんな迷いを抱える中で、ある時思い切って母に聞いてみた。
「お母さん。私のせいでお母さんのキャリアを止めてしまったんじゃないかなって気になっとるんよ」
こんな風に聞いて「そうだよ」とは言わないだろうとは思っていたが、
母の答えは私の想像の何倍も力強く、迷いなく、嘘の無い思いだと感じさせるものだった。
「そんなこと全く思わなくいい。これはお母さんが自分で決めて、自分がそうしたいと思って選んだ道で全く後悔してないよ」

母は、自分の目で成長をしっかり見届けたかったこと、そして子育てが何よりとても楽しかったことを語ってくれた。自分も一緒に全てを経験しているような感覚だったと。
また、母の母、私にとっての祖母は反対で、商売好きで、いつも自分の好きなことをしていて、今では普通かもしれないが、母は小さい頃から保育園に通っており、寂しい思いもしていたそうだ。
祖母は私が4歳頃に亡くなり、私は祖母のはっきりした記憶がないが、母の兄も祖母の思い出話では
「本当に自由な人で、早くに亡くなったけどもう十分というくらい人生を楽しんでいたよ」と笑って話していた。

母の生き方も、祖母の生き方も、絵に表現すると全く違う絵になるかもしれない。
でも、どちらの絵にも魅力がある。
いろんな生き方があって、正解はない。
ただ、言えるとすれば、大切なことは、自分がその時選んだことはその時の自分にとっては最善の道だったと、自分がやりたいことをしたんだよ、と自信をもって言えることなのかもしれない。
母の話を聞いてそんな風に思った。
きっと母も、祖母も、その時々に迷いながらも、やりたいことを選んで進んできたのだ。

自分が今やりたいことをすることは、まさに一枚の絵を描くことのようだ。
絵に正解はなく、どんな色を使いたいか、どんな風に描きたいかはその人の心が表れる。
一筆一筆が一つの絵をいずれ完成へと導く。
失敗したなーと思う線があっても、それが後になって良い味になることだってある。
それでもやっぱり失敗したなーと思えば、また白い紙に一から書き直せばいいのだ。
きっと失敗した経験を活かした絵が次には書けるはずだ。
どんな絵も、その人らしさがある。
また、その絵をみてどう思うか、その絵をどう意味づけるかは、見る人の心理によっても変わる。
描いた本人でさえも絵を見返したタイミングによって、感じることや、その絵をどう意味づけるかは変わるのだろう。
私は、母の生き方も、祖母の生き方も、自分の心に従った素敵な女性の生き方だなと今思える。

母は、この春パートを辞めて、絵を描くことに再び時間を使うことにしたらしい。
気負わず、自分が描きたい絵を自分のペースで描くそうだ。

まだ、私の絵も、母の絵も、描いている途中である。
どんな色を塗ろうか、どんな線を描こうか、迷うこともあるけれど
私も、自分の絵を、自分の感性で心に従い描いていきたい。

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