絶滅の危機を乗り越えた奇跡の和牛

和牛美味しいですよね、高いけど。
円安が加速した昨今、国産牛肉と輸入牛肉の価格に余り開きがなくなってきたせいか、国産牛肉を食べる機会が増えてきました。
その中でも別格の和牛。皆さんは召し上がる機会はございますか?私は年に一回ありつければ良い方くらいでしか口に入れる機会に恵まれません。

私には縁遠い存在な和牛ではありますが、その和牛の系譜って案外浪漫溢れる話ってみなさんご存じですか?
今回はそんな『絶滅の危機を乗り越えた奇跡の和牛四頭』のお話をさせていただきます。


日本と牛

日本は古来より牛を食することはなく益獣として牛を飼っていた。
例えば牛車として牛を移動用の車を引く用途で使っていたり、他にも農耕時に牛に手伝ってもらったりなどで利用していた。
これらは1000年以上前に書かれた日本書紀などにも記載されており、当初は食用以外の家畜として牛との付き合いがあったことが示されている。
その後大陸から牛乳の加工技術が伝わり、『蘇』と呼ばれる牛乳を煮詰めたクリームのようなものや、『酪』と呼ばれるチーズのようなものを一部上流階級のために作成されていた。
牛の数が少ないというのもあって非常に高価な品物として扱われ、宮廷への献上品であったり、将軍家への貢物として長らく利用された。

幕末から明治期

1865年、当時幕末であった日本に各国から開国を要求が加速していた。
神戸港が開講する前年に兵庫海溝要求事件が起きた。
その際に船員たちが牛肉を欲したので、兵庫近郊の役牛を集め現地商人が販売した。
神戸で購入した牛を当時すでに開港していた横浜に持っていき「神戸牛ウンマッ」と当時の外国人の間で話題になると、神戸牛は一躍食用として人気の牛となった。
江戸が開け明治時代になるとその人気は加速し、兵庫が日本で一番牛を出荷する街となった。
あんまりにも食べすぎて海外の牛よりも和牛が美味しいと評判になり、日本全国各地での和牛人気は爆発的に加速していった。

美味しくない交雑牛

しかし人気と需要が高まると日本政府は「日本で急に食べだした和牛より、長い間食ってた海外の牛のが食べる部分も多いし、在来種との交配すすめて供給量あげるべ」と海外産の牛との交配を進めていった。
その結果、国産の牛よりも大柄な雑種牛は肉質も悪く気性も荒く、飼育が国産牛よりも難しく非常に不評であった。
そのため神戸牛として多く出荷していた美味しい肉の名産地である但馬では、交雑種の生産をやめ短期間で終了することとなった。

ブラウン事件

1909年に但馬地方の養父市場村で第一回兵庫県畜産共進会が開催された。
奨励されたブラウンスイス雑種の牛ではなく、和牛である但馬牛が一等を受賞するという『ブラウン事件』が起こった。
それによって雑種牛の価値と値段が暴落し、多くの畜産農家が破産してしまったのだ。
雑種牛の価値が下がり、純和牛の価値が相対的に上昇し、純和牛と雑種牛の交配が盛んに行われた結果、とうとう全国的に純和牛が絶滅の危機を迎える。

奥地の集落

全国各地を探し、交雑牛に比べて圧倒的に味が優れている和牛がないものか探したが、中々その成果は上がらなかった。
しかし兵庫県美方郡香美町小代区の最奥にある熱田という山間の集落に奇跡的に4頭だけ生き残っていた。
これは外界と閉ざされていた集落だったため、外来種や交雑種との交配の流れに乗ることが出来なかったためであるが、その四頭を日本で唯一残った純和牛として大事に飼育していった。

現在

今日本に現存する和牛の99.9%は上記四頭の系譜である一等の但馬牛『田尻号』の血を継いでいる。
希少な和牛の血脈を絶やさなかったのは偶然の産物ではあるが、出来ればその奇跡に感謝して食べるべきであるだろう。

まあ和牛食べる機会なんてそうそうないんだけどね。

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