第八話 羿と弓 前編
「師匠」
僕がそう呼び掛けると師匠は怪訝な顔で「どしたー?」と振り返る。
「今回も”弓”使わなかったデスね」
僕はそう言うと師匠が左肩に担ぐ弓、『虹の弓』に視線を向ける。
虹の弓の出番ないまま終わっちゃいそうデスけど・・・
と言いたげな僕の視線に気づいたのか師匠は自身の髪をわしゃわしゃと撫でるように頭をかく。
「気付いてしまったか・・・」
「いやいやこれ毎回思ってますし、何度か言ってますよね!?」
師匠は「うーん」と何かを考えるように唸ると視線を遠くに薄っすらと陰る山に向けた。
「ふむ、よかろう。ならばこの”弓”の力を見せてあげましょうぞ!」
師匠はパンと手を打つと急に芝居がかった口調でそう語る。
そんなに勇んでハードル上げて大丈夫なんでしょうか・・・?
「それはいい、わらわも是非とも見せてもらいましょう」
師匠に負けじと芝居がかった・・・とこの人はいつもそうか。後をついてきた庚さんも手を叩き近くの岩に腰かけると師匠の方に目線を移す。
庚さんめっちゃワクワクしてる。いやこれもともと貴女達を撃ち落とす用のやつなんデスけどね、そのへんはいいのかな?
「それじゃ、虹の弓。行きまーす!」
さっきまでの芝居がかった口調を止めおどけてそう言うと師匠は一呼吸おいて目を瞑った。
師匠は鼻から息を吸うと細く長く口から息を吐き”道”を練る。
お腹の辺りの”丹田”に集めたエネルギーをその長い呼吸によって体中に巡らせ、ただのヒトには練ることが出来ない神秘のエネルギーとでもいうべき道力を自身の体を源として循環させ増幅させていく。
そうして集めたエネルギーをゆったりとした動作で左手を通し弓に這わせ、右手で持った矢に込めていく。
矢を弓に番えると今度は大きく上に掲げるように持ち上げ、ゆったりとした動作で弓を下げつつ弦を引き絞っていく。
あれ?師匠そっちにはただ空があるだけで何も狙う物がないんですけど・・・?と僕は思ったが、あえて口には出さない。
『弓の所作中に声を決してかけるな』
師匠には修行中口すっぱくそれを聞かされてきたからだ。集中してないと道力が散ってしまってその余波でドアが外れたりブレーカーが落ちたりwi-fiが途切れたりするらしい。電子レンジか。
そんなことを思っていたら師匠は目を見開き口を真一文字に結び矢を放った。
—――衝撃その一言だろう。
雷のような光が走り衝撃が師匠を中心に辺りに一気に伝わる。
そして遅れて爆発したかのような轟音が響き渡る。
「うわああああああああ」
驚きのあまり目をつぶる余裕すらなくその光を音を衝撃とともに喰らってしまい、叫びながら僕は衝撃と共に後方へゴロゴロと転がってしまう。
やがて土煙が晴れ、辺りの様子が分かってきた。
僕らの近くに生えていた木々はひん曲がり、突風のような威力に葉は全て吹き飛んで行ってハゲた木になってしまった。
それに、あれ、見間違いか記憶違いか、あれ確か前方に山があったはず・・・。
その山があったはずの場所には誰かがそこだけ齧ってしまったかのような巨大な丸い抉れが怒っていた。
え、この威力なの?虹の弓・・・。
僕があっけに取られていると、岩に腰掛けていた庚(そこだけ無事だったんだ)はわなわなと震えながら立ち上がり「ふいー」と爽やかに額の汗を拭う師匠に向かって
「殺す気か!!!」
と怒鳴り襟首をつかみ激しく揺さぶっている。いいぞ、もっとやれ。
「ま、こういうこっちゃ」
庚にボコボコに殴られ顔を腫らした師匠がさらっと言うが、いやいやどういうこっちゃ。
「こんなんで太陽たち討ったら射落とすどころじゃないんじゃ・・・」
「いやこれ使って”脅せ”って玉皇大帝は言ってたよ」
脅しのレベルおかしいだろ、と僕と庚さんは呆れて顔を見合わせ溜息を吐く。
「師匠は知ってたんデスか?虹の弓の威力・・・」
「知ってたよ」
「どこかでみたんデスか?」
「ああ」
師匠は何かを含むように背を向ける。
何か僕らが知ったら不味い”神”の話なのだろうか。これ以上は聞くべきではないと僕は下を向く。
「アンサイクロペディアに書いてあった」
「それおもしろおかしく勢いだけで辞書っぽく書いてあるところ!!」
心配した僕が損した。いやいつも損ばっかしている気がする。
あっはっはと明るく笑う師匠を横に僕と庚さんは再び顔を見合わせ首を横に振る。
この威力の弓をただ脅しだけで持たせるだろうか・・・?
玉皇大帝の言葉とその行動に何か思惑があるんじゃないか、だけどそれを確かめる術は今は持たない。
師匠は何か知ってそうな感じだけど、さっきのあの態度は”今聞くことではない”とそう言いたいのだろう。
師匠との付き合いも長くなってきたし、それくらいは分かる。
「さー弓の試し打ちもできたし、扶桑樹に向けて出発!」
明るくそう言う師匠の後を僕らはついていくしかない。玉皇大帝への疑いが正しいならば。