テクノロジーの教育格差を、どう埋めるか。
テクノロジー格差が生まれる理由
子どもがテクノロジーを習得する機会に、格差があってはならない。
こんなことを言うと、「確かにその通りだ」とおそらく誰もが同意する一方で、耳障りの良い理想を語っているようにも思われるだろう。
実際、過疎地域に住む子どもや、学校に行かない子ども、家庭環境に恵まれない子どもにとって、そういった機会を得ることは難しいのが現状だ。
何かしらのハンディキャップ(この言葉はあまり使いたくないが、事実としてそれに近いもの)をもっている子どもたちにこそ、「テクノロジー」という武器が必要なはずなのに。
彼らがテクノロジーを武器にすれば、自分の不得意を埋めることができるし、何らかの価値を提供することもできる。場所を問わず、働くことだってできるだろう。
しかし現実は、いわゆる「普通」の子どもにテクノロジーを教えた方が、効率的で経済的だ。
テクノロジー施設は田舎より都会に造った方が、多くの子どもたちが通うことができる。
家庭環境に恵まれている子どもにターゲットを絞った方が、多くの資金を集めることができる。
そして、いわゆる「普通」の子の方が、教える側にとっても扱いやすい。
だから、テクノロジー格差はますます広がる。
恵まれた環境の子どもはテクノロジーという武器をも手にする一方で、ハンディキャップを持つ子どもは武器があることすら知らないまま大人になる。
これはもはや、テクノロジー格差に収まらない問題だろう。
可能性の広がりが、生まれた環境や状況で制限されてはならないはずなのに、現実はそうなっている。
過疎地域に開設するテクノロジー施設
この社会課題を解決するために、わたしは過疎地域で10代のための無償テクノロジー施設を開設することにした。
テクノロジーに触れる機会が乏しい地域の子どもたちに、その地域内での経済格差や家庭環境などにもよらず、公平にテクノロジーに触れる機会を提供することを目指している。
このテクノロジー施設が開設される場所は、福井県あわら市で少子化のために休校となった「新郷小学校」。(この場所についての記事も、最近別アカウントで執筆し始めたので、興味があればご覧いただきたい↓)
この施設は、2024年1月にプレオープン、2024年4月に本格オープンする予定で、不登校の生徒も来やすいよう、平日の日中にも開所日を設ける方針だ。
現在、新郷小学校の旧職員室と旧校長室を、10代の子どもたちがテクノロジー(プログラミングに限らず、3Dモデリングや動画制作、音楽制作やドローンなども含まれる)に触れることができる居場所にすべく、この事業に関わるメンバーとミーティングを重ね準備を進めている。
こんなことを書くと、信念を持って社会課題の解決に本気で取り組む凄い人みたいに思われてしまいそうだが、わたしは想いだけで行動できるほど強い意思力が備わった人間でもなければ、一声で人々を動かせるようなカリスマ性を持ち合わせた人間でもない。
1年ほど前から、新郷小学校で小さなプログラミング教室を運営していて、そこの管理人をしているミカミさんに、「テクノロジーに触れる機会を無償提供する助成事業があるんだが、応募してみないか?」と持ちかけられ、元々お世話になっている人だったし、スキームを学ぶだけでも良い経験になると思い、二つ返事で応募を決めた。
教育分野の中では規模の大きな助成事業で、生徒数10名の小さなプログラミング教室が本当に採択されるとは思ってもいなかったのだが、予想外にも採択の通知を受け、実際に事業が動き始めているのだから人生は面白い。
目指す在り方は、「混ざり合い」
この施設でわたしが大切にしていきたいのは、テクノロジーそのものを純粋に学ぶことではなくて(もちろん、それもとても大切なんだけど)、テクノロジーを通していろんな人や社会と「混ざり合う」ことだ。
自分が興味のあるテクノロジーを探求する中で、家庭でも学校でも出会えない人との出会いがあったり、社会や地域とつながるプロジェクトを企画してみたり。
そういった人間的で地道な経験の中で、人は成長していくんじゃないかと思う。初めは壁にぶつかることもたくさんあるだろう。だけど、失敗したって全く問題ないし、むしろ失敗は出来るだけ多く重ねた方が良い。
こんなことを掲げると、10代にとっては綺麗事のように聞こえてしまうだろうか?(少なくとも10代だったわたしは、「失敗してもいい」という言葉を使う大人たちをあまり信頼していなかった気がする。)
けれど、言葉で伝えただけではよく分からなくても、何回も体感していく中で少しずつ考えが柔軟になっていけばいい。そうすれば、人生はきっと楽しくて、もっと生きやすくなる。
そこにテクノロジーが加われば、自由に人生を謳歌できる。
わたしは、このテクノロジー施設を利用した子どもたちに、70年80年後「あぁ、素晴らしい人生だったな」と思えるような出会いを提供したい。
刹那的な人々との交流やプロジェクトだけではなく、考え方だったり価値観だったり、人生に影響を与える出会いを一つでも提供したい。
このテクノロジー施設に通った子どもたちが、この場所での出会いの全てを忘れ去ってしまってもいい。
はっきりとした形はわからなくなっても、人生を形成するものの一部に混ざり合い、そして馴染んでいったのなら、わたし自身が60年70年後に「あぁ、素晴らしい人生だったな」と、きっと思うだろう。
【お知らせなど】
この施設の名称やコンセプト、もう少し具体的な在り方や施設のイメージについては、これからのnoteで少しずつ紹介していきたいと思っています。
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