居場所とは何かという、答えのない問いに対して。
金木犀の香りがしてきそうな季節。
わたしが運営する10代のためのテクノロジーの居場所「まぜテクネ」に訪れる子どもたちも、"創作の秋"と言わんばかりにデジタルクリエイティブに励んでいます。
まぜテクネがあるのは、福井県あわら市の田園風景の中に佇む新郷小学校という場所。小学校と言っても、7年前から少子化の影響で休校中となっていて、その一室である旧職員室・校長室を利用して、まぜテクネは運営しています。
2024年4月に正式オープンしたこの施設には、毎週月曜・水曜・土曜に小学校高学年〜高校生まで、多くの10代が訪れます。そしてわたしは、ここの運営を始めた頃からずっと、"居場所とは何か"という問いについて考えてきました。
このnoteを執筆している今日は、正式オープンから約半年が過ぎた、初秋のある土曜日。いつにも増して、穏やかな空気が流れています。
そんな中、子どもたちが創作活動をする隣で、ここまでの運営で考えてきたことをまとめてみようと思います。
二つの居場所論と、「個としての居場所」
わたしは、"居場所とは何か"という問いについて考える中で「個としての居場所」と、「コミュニティとしての居場所」があるのではないかと思い始めました。
まず、前者の「個としての居場所」について。
ある空間を、"安心していられる場所である"と感じるためには、個々人が一人の人間として尊重されていることが大切です。一人一人が、自分の意思に従って、ありのままの状態でいられる空間。それが、「個としての居場所」に繋がると考えています。
まぜテクネは、初夏の頃までにこの状態が達成されていました。
未成年の間は、みんな一緒に何かをする時間が多かったり、みんな仲良くと言われることが多かったりすると思いますが、まぜテクネではできる限り個を尊重しています。
一人一人が、自分の好きなものを主体的に探求する空間。ある子はVtuber制作をしていて、またある子は3Dモデリングをしていて…。
それは別の言い方をすると、ポジティブな意味で、"ぼっちが、ぼっちとして許容される空間"という感じ。
まぜテクネに来る子たちは、学校に通っていなかったり、発達障害があったりする子もいるのですが、そうでない子とも混ざり合い、皆が安心してクリエイティブ活動に没頭しています。
これはこれで良い居場所だなと思っていたのですが、もう少し広げた居場所の概念を実現したいと考え始めたのが、8月初めの頃です。
「コミュニティとしての居場所」
次にわたしが目指したいと思ったのは、「コミュニティとしての居場所」です。
自分という単位から少し広げて、わたしとあなたへ、そしてコミュニティへと、少しずつ見ている世界観を拡張していけないだろうかということを考え始めました。
ちなみに、コミュニティと集団は、似ているようで違うニュアンスと捉えています。
例えば、学校は集団ですよね。みんな意思によらず集められて、規律があって。そういった集団の中での学びも、とても大事な学びになり得る前提で、まぜテクネの役割はちょっと違うところにあるのかなと思っています。
そのようなことを考えていた夏の終わり、まぜテクネで10代同士が教えあう場が生まれ始めました。
9月に入って、これまで口数が少なかったある女の子が、得意のVtuberキャラクター制作を隣に座っていたVtuberキャラクター制作を始めてみたい女の子や、そのまた隣のスタッフに教えてくれていました。
わたしは、この時はじめて「コミュニティとしての居場所」の芽が生まれている実感を得ました。
コミュニティ形成の実現に必要なこと
同時に、自発的なコミュニティ形成の前段階として、自発的に創りたいと思う環境を提供することが、まぜテクネの居場所づくりにおいては重要であると再認識しました。
よく子どもたちに対して、”将来のために〇〇した方がいいよ”と言うことがありますが、将来のために目的意識を持って行動できる子って、そこまで多くないような気がします。
たった十数年しか生きていないのに、将来のためにとか、夢を実現するためにとか言われても、ピンとこないのではないかなと。
そんなわたしは、夢や目標という言葉が苦手な10代でした(大人に対して斜に構えて生きていたせいもあると思うのですが…)。
10年とか15年とか生きたくらいで、残りの有り余る人生を決定できるわけがないのに、大人はそれを尊がることに違和感を覚えていました。
自身が大人になり分かったことは、それは結局のところ、生きた年数が短いからとかそういうことではなく、その人のそういう個性なのだということです。
まぜテクネには、"デザイナーになりたい!"とか、"プログラマーになる!"とかの目標を持って来てくれている子もいます。
同時に、特にそういうものがない子もたくさんいます。
けれど面白いのは、前者の方が後者よりも活動に没頭するとは限らないことです。目標がなくても、それを、"やりたい"とか"楽しい"とか感じることができれば、素晴らしいものをつくりあげることができます。
そして、本当に楽しいと感じているものに対しては、普段そんなに話さない子も思わず多弁になってしまうんですよね。
それが、いろいろな特性の子が混ざり合うまぜテクネにおいて、自発的なコミュニティの形成に繋がっていくような気がしています。
この先の居場所づくりで目指したいこと
次のステップとして、まぜテクネがこの先どのような居場所でありたいだろうと考えた時、社会との繋がりを作れるような居場所でもありたいと思っています。
つい先週、時々ふらりとまぜテクネに訪れて、MineCraft上でマイコン(電気機器を制御する電子部品でICの一種)をつくっている高校生が、"自分のやっていることが、将来どのようなことに繋がるか想像できない"と言いました。
大学数学でも専門でないと習わないような高度な演算を用いて、本当にすごいシステムを構築している彼ですが、それを理解できる大人はそこまで多くありません。
また、クリエイティブ活動に没頭できるタイプの10代は、個としての世界観が強い場合が多く、学校に通っていなかったり、通っていたとしても友だちがあまりいなかったりすることも少なくありません。
だから、自分の才能を自覚しにくい。社会との繋がりを想像しにくい。だけど、彼らが自分の才能が自覚できれば、社会との繋がりを想像できれば、より主体的で創造的な人生を歩めるのではないかと考えています。
まぜテクネはこの先、その繋ぎ目としての役割も担っていける居場所を目指していきたいと思います。