マイノリティ、マジョリティ論。
わたしは、10代が自由にテクノロジー創作できる居場所「まぜテクネ」を運営しているのですが、マイノリティとマジョリティの、比率の調整って大事な気がするんですよね。
マイノリティって少ないからマイノリティなわけで、マイノリティが多い空間だと、彼らはマイノリティではなくなります。
同時に、マジョリティもマジョリティでなくなる。
多いほうが強くなりがちだから、様々な面でマジョリティは強く、マイノリティは弱くなりますが、そもそもマジョリティもマイノリティもない空間だと、対等や平等が生まれやすくなる気がしています。
人と本当の意味で「所属もカーストもない、一人の独立した人」として関われるようになるというか。
でも、当たり前ですがほとんどの空間でマジョリティはマジョリティであり、マイノリティはマイノリティです。
だからこそ、そうでない空間もあっていいんじゃないかと、そうでない空間から何が生まれるのだろうと、そんなことを考えています。
私が運営しているプログラミング教室も、テクノロジーの居場所まぜテクネも、発達障害や不登校の割合が高めなのですが、彼らがその場所では定型発達や学校に通っている子たちと、当たり前のように共存できているんですよね。
それは私の運営能力によるものではなく、単純に、割合の問題な気がしています。
運営側の意図が入ることへの是非はあるかもしれませんが、インクルーシブな空間の実現においては、割合の調整って大事なのでは…ということを考え中です。
写真は、最近のまぜテクネの様子📷
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