その「当たり前」誰が決めた?
「その当たり前って誰が決めたの?」
娘が産まれてからでた気づき。
私の主人は突然仕事に行けなくなった。
もちろん困った
娘も難病で入院生活してるし
少しも離れる事もできないし
共働きも難しい。
悩んだ、すごく悩んだ
でも、そこでまた気がついた
『別にお金を稼ぐのは…
大黒柱になるのは…
男の人じゃなくてもいいよね?』
自分の親に相談しようかと思ったけど
これは自分達の事だからと
主人と2人で話し合って決断した
『主人と役割を交代!
今度は私が働いて稼ぐ!』
そこから主人が娘に付き添い
私は正社員に
自分の親には、決めてから報告した
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ある人の言葉
「人が物事を判断する際
自分の経験に頼るのが常である。
だが、経験は時に先入観となり
判断を誤らせる場合もある。
予断を排し、本質に迫らんとする
勇気が大切だろう」
自分のこれまでの経験って
もちろん大切
だけど、「当たり前」と物事に対して
ふと気づけば思っている時に
ひとこと
「その当たり前って誰が決めたの?」
私はこのように自分が何か
物事を考える時その都度
自分に問いかけるようになりました
そうするようになってからは
ついこの間まで「当たり前のように」
生活してた日常が幸せに満ちてる
娘が早くに亡くなって可哀想?
いいえ!
今こうして当たり前のように
生きてることがどれだけ素晴らしいかを
命をかけて教えてくれた
誇らしい自慢の娘に出会えて
私たちは幸せ者です!
実は幸せになる為に大切なのは
「気持ちのあり方」なんでしょうね
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