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人類みんなが研究者
今日は僕が思っていることを音声で録音し、それを文字起こししています。
結論、論文を書く人、大学で働いている者だけが研究者じゃないんだよということです。人生あらゆる人が研究者。あらゆる人が、自分の何かしらの強みを持って生ていると僕は思います。
例えば営業。営業は基本的にアカデミアにいません。アカデミアで生まれた発見を使い、会社がまずプロダクトを作成する。最後に営業がそれを売ります。しかしアカデミアの研究者だけではモノを売ることはできません。営業の脳があって初めてものが売れます。営業はアカデミアの研究者ではありませんが、ある営業マンは実世界では世界一営業についてコミュニケーションなど、研究したかもしれない。ある不動産営業マンは、ある土地の家について世界一詳しいかもしれない。
他には、料理が好きで、料理にめちゃくちゃ詳しいリュウジさんというYouTuberがいます。論文を書いてアカデミアにいるわけではありませんが、立派な栄養・料理の研究者です。料理研究家とも名乗っていますから、これは分かりやすいでしょう。もちろん科学的な方法は取ってなくて、ノウハウ的なところを使ってるのかもしれないですが、料理については博識で、しっかり世の中に貢献しています。彼の家は立派な研究所です。
これについて考えたときに僕は思うんですね。学生には学生しか見れない視点、学生しか見れないことがある。学生は、大学の先生ほど立派な論文を書けないかもしれない。学生は、大学の課題レベルのレポートしか書けないかもだが、学生の見てる視点はもしかしたら論文を書いてる大学の教員よりも賢いかもしれない。
視点が違う。
問題の種類や成果の形が異なっていても、一人ひとりの視点にはかけがえのない価値がある可能性がある。書いている論文の数・質や、世の中の目に見える貢献度は関係なく、それぞれの独自の視点があるからこそ、僕はみんなが独創的な存在になれるんだと僕は思ってます。ちっちゃい子供からおじいちゃんおばあちゃんまで。ちっちゃい子供はもちろん論理的思考を確立してないから研究者と呼べるかわからないけれども、彼らも何かしら世の中に思ってる事はあるかもしれない。今は、小学生がアプリ開発する時代ですよね。彼らしか見れない視点があるかもしれない。
全人類が研究者だと僕はだと思ってます。挟義の研究者はアカデミアの人たちで、全人類は広義の研究者です。何だろうか、テストができない、私は頭が良くないからねっていう理由で、自分は何か向いてないって思う人が減ってくれればいいと思ってます。僕は例え何か研究能力ないとか、テストができないからと言って何か極めるのに向いていないとは思いません。ただ、違う思考の道につながるんじゃないでしょうか。僕はそう思います。
Haru
私、阪大生Haruは、海外留学や海外旅行に関する情報発信、そして留学相談を行っています。また、阪大発の学生団体「グローバル関西」も運営しています。これからも私個人としても、グローバル関西としても様々なコンテンツを発信していくので、ご覧いただけると嬉しいです😎