「安全安心の場」
それだからか、それぞれ自分と合う子合わない子もだんだんとわかり、自然とクラス内にはグループができていた。ドラマのようなスクールカーストもあったから、あの頃は自分の居場所を探すことに必死だった。
大学生になって今考えると、「閉ざされた世界」にいたんだなと実感した。むしろゼミに入っていなかったらその実感すらなかったと思う。高校生の頃は横並び意識が強くあったし、「安全安心の場」は家しかない状態。
それなりに高校生活は充実してたけど、周りに気を使って生きていた。私が高校生だったあの頃"カタリバ"の存在があったらなにか変わっていたかもしれない。と今村さんの話を聞いて強く感じた。
そう考えていると今までは自分の興味のある分野のことしか考えられなかったけれど、当事者意識を持ち今の高校生たちに私もなにか力になれることはないか。と考えてみるとカタリバに足を運んでみたくなった。次の機会にいってみよう。ざっくりとした目標だけど、自分が高校生たちにとって「安全安心の場」を作っていけるような人になりたい。
みんなのプレゼンでも「ナナメの関係」という言葉がたくさん出てきていたが、正直しっくりこなかった。それは自分が体験したことがないし、縦と横の関係さえもあんまり意識したことがなかったのに、「ナナメの関係」なんて1ミリも考えたことがなかったから。
でも少なくとも私にとって「ナナメの関係」と考えられる人はまだいないということは、まだまだ「開かれた世界」への第一歩が踏み出せていないということだと思う。
越境活動に足を運んで満足するんじゃなくて、そこでどれだけ自分が変われるか、当事者意識をもって人とコミュニケーションをとれたか。
これから意識していこう。
今思うと、一番最初のカフェゼミでの自分と比べると少しは違う世界に飛び込めるようになってきた気がする。初めましての人と話すのは能力がいることだけれど、その分「楽しい」と感じられた。もっと話したい。もっと知りたいと感情が溢れた。しかし、なんらかのきっかけがあって初めてカフェゼミに参加する人にとっては私たちよりもっと不安な気持ちになることもあると思うし、疎外感を感じてしまう時もあると思う。その気持ちが自分の行いによって「なんだか落ち着いて議論ができる場」に変わってもらえれば嬉しい。
私にとってゼミの中は自分らしくいられるそれこそ「安心安全な場」なのかもしれない。もちろん緊張したり不安になったりすることもあるけれど、自分の意見や人の意見が聞けて嬉しい。もしそうではない人がいるなら自分がその人に心を開いてもらえるような存在になれれば最もだが、まだまだ道は長い。自分のペースで一歩一歩、新鮮な気持ちをこれからも忘れずに前を向いていきたい。