見出し画像

人と同じことができない私。それも受け入れて生きていく


私は皆ができることができない
ことが多い。

「このシールはきれいに剝がせます」
がきれいに剥がせない。
「これは手で切れます」
を手で切れない。
洗剤の詰め替えはたいてい失敗して
ボトルも床もべたべたになる。
何もないところでつまずき、
滑り止めの靴で大胆に滑って転ぶ。
デパートのトイレでは
座る前に音姫が鳴り
用を足してる途中で水が流れ
水が流せるタイミングまで
ズボンをはいたまま無の時間を過ごすことも。

不器用という言葉で済ませられるレベルはいいけれど
最近では言葉もなく哀れな目で見つめられることも多い。。。
もうこの年になればその視線にも慣れたものだが
接する機会が少ない人には結構、驚かれる。

子どものころは
不器用ね、とか
いつかできるようになるよ、とか
そういうフォローを周りがしてくれたのかも。
大人になってからのほうができないことが増えた気がする。

当たり前のことができないと
大人なのに?とか
大人なんだから、と言われ
普通じゃないということになる。
ここまで不器用だとは思わなかったと思うことが増えたのは
大人ならできて当然ということなんだろうなあ。

大人になってもできないことが増えるのは
努力をしなかったからではなく
不器用に磨きがかかったわけでもなく、
できなきゃいけないことが増えたから、なのである。
私にだってできること、できるようになったことはある。
ちょっと追いついていないだけ。
伸びしろは、まだある。

ということにして、
こんな自分を受け入れることにする。

いいなと思ったら応援しよう!