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【私と食と#2】ご飯食べた?が挨拶の国で
11月下旬、大学のゼミで釜山研修に行ってきた。昨年度のソウル・仁川研修に続き、4泊5日と比較的長めの滞在だ。
韓国から帰ってきて一週間程が経った。今回は韓国旅行の余韻を味わいながら、私が大好きな韓国の食文化の話をしたい。
よく食べる国・韓国
韓国の食べ物はもちろんおいしい。韓国の食文化で好きなところは、いっぱい食べるところだ。上手く伝えられないが韓国の숟가락[スプーン]は、ご飯を口に運びやすく頬ばれる形状になっていて、個人的にとても気に入っている。使ったことがない人にはぜひ一度使ってみて欲しい。
前回食べたものの中で一番記憶に残っているのは、仁川で食べた닭강정[タッカンジョン]。初の韓国で食べたからこそ、その感動が記憶に刻まれているだけかもしれない。でも、まさに「病みつき」な旨辛チキンを韓国ビールのCASSで流し込む瞬間はたまらなかった。
▼仁川で訪れたタッカンジョンのお店
元祖新浦タッカンジョン|仁川市街地(仁川)のグルメ・レストラン|韓国旅行「コネスト」
비빔밥 カルチャー
今回の研修で訪れた釜山の南側にある小さな島、影島[ヨンド]。先生おすすめの食堂でみんなで夜ごはんを食べた。
運ばれてきたのは、雑穀米らしきご飯と麦ご飯のミックスごはん。魚の旨みが溢れる汁物。そして、色とりどりのおかず[パンチャン]たち。韓国式にこれらをビビンパにして食べた。
たくさんのおかずたちや韓国味噌[テンジャン]、コチュジャなどの調味料。つけたり、混ぜたり一度の食事でたくさんの食材が食べられる。一人一品ずつが基本の日本ではなかなかない食事スタイルだ。質素だけど豪華で、とっても満たされた気持ちになれる。양푼[ヤンプン]というボウル型の器が使われているのもまた素敵だ。
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밥 먹었어?[パン モゴッソ?]
韓国ドラマを観ていると「パン モゴッソ?」というフレーズをよく聞く。韓国人は挨拶の一つとして「ご飯食べた?」と聞く。私の大学の韓国人の先生もよくご飯を食べたか聞いてくれる。
この韓国の文化を知ったとき、とても感動した。相手がご飯を食べたかを心配するなんて、なんてすてきなコミュニケーションかと。
おおげさかもしれないが、この言葉の中には「ちゃんと生きてる?」「大丈夫?」「元気か?」と相手を思って、気にかける意味合いが込められていると思う。そして、この挨拶の背景には貧しい時代を生きた韓国の人たちの姿があるというのも考えどころである。
食べられる豊かさと
生きることは食べること。食べることは生きること。韓国の豊かな食文化を味わいながら、食べることって大事だなとお腹の底から思う。でも豊かさの裏には、何かしらの犠牲があるんじゃないかと想像することもできる。
今の日本では不自由なく食べれることが当たり前すぎて忘れてしまうけれど、世界は貧しさの経験を持っている。変化し続ける世の中で自分とひもじさが隣り合わせになる日はいつ来てもおかしくない。それでも慣れきった豊かさと自分を切り離すことは簡単じゃなくて見て見ぬふりをしている。
私に何ができるんだろうか。どこかで聞いた「若いうちは大きい問題は置いておけ。食べていくことだけを考えろ。」という言葉を確かにそうだなと思う自分と、いや、そうじゃないもっと「正しいこと」を求めてもいいんじゃないかと思う自分がいる。そうやって揺さぶられながら生きている自分は、今どこにいるんだろうか。
幸せなんだけど、幸せじゃない。この感覚はなんだろう。自分の目に見える範囲と手の届く範囲を越えて想像力を働かせなければいけない世界は、無限で自由だけれど生きにくい。だからこそ、自分で見て、聞いて、感じた体験と感動は奥底に刻まれるんだと思う。