お城と遺跡を訪ねて
ちょっと前に福岡へ旅行に行ってきました。
目的はいろいろあったんですが、メインは2つ。1つは日本100名城、続100名城巡り。それからもう1つはレトロな街・門司港に行き、関門橋を見る、といった感じです。
早めの飛行機で羽田から福岡空港へ。「初日は吉野ヶ里遺跡を見にいこう!」と決めていたので、福岡空港から博多駅へ行き、そこから特急と普通を乗り継いでJR吉野ヶ里公園駅へ。
途中、鳥栖駅で普通電車に乗り換えるとき、同じホームにあの『ななつ星in九州』が停まっていました。これって超ゴージャス列車なんですよね。三泊四日で一人65万円から。高い客室だと一人150万円。うーん、ゴージャス!!縁はなさそうですが、記念に写真だけは撮っておきました…。
JR吉野ヶ里公園駅から吉野ヶ里歴史公園までは徒歩20分くらい。麦畑が広がる景色を眺めながら歩く道はすてきです。
吉野ヶ里歴史公園は、紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の遺跡です。この時代の土器や石器、青銅器、甕棺墓など様々なものが出土しています。特に重要なのがこの遺跡が「大規模環濠集落遺跡」である点とのこと。
昭和のころ学校で学んだ弥生時代は、静岡県の登呂遺跡の発掘をもとに「平和に稲作をしていた時代」的なイメージでしたが、ここ吉野ヶ里遺跡の発掘が進んだ平成に学校で学ぶ弥生時代は「小さな国同士の戦乱に明け暮れていた時代」というイメージに変わったそうです。
もちろん地域的な違いもありますから一概に「弥生時代は戦乱に明け暮れていた」とはいえないのですが、少なくともここ北九州は朝鮮半島、中国からも近く、「倭国」にはたくさんの「国」があり、その「倭国王」が中国の皇帝に朝貢し、また「倭国」が乱れて「卑弥呼」がまとめた…といったことが中国の歴史書である「漢書地理志」、「後漢書東夷伝」、「魏志倭人伝」などに記載されています。
まぁ「邪馬台国」がどこにあったのかも分かっていませんからなんとも言えないのですが、もしかしたら「邪馬台国」に至る集落の一つが吉野ヶ里だったのかもしれません。それにしてもこれだけ広い敷地に、98棟もの再建された建物が並んでいるのは壮観でした。
この日の宿泊はみずほPayPayドームのすぐ横のホテル。窓からは、街の夜景も、朝の光も綺麗に見えました。
二日目は門司港へ。「門司港」といえば「レトロな街」みたいなイメージで、ちょっと「横浜に近いのかな?」なんて親近感を覚えていました。
たしかに「レトロな街」ですが、観光客ですごく賑わっていました。レトロな建物、おしゃれなお店、名物の「焼きカレー」が目当てなのかな?あまりに賑わっていてびっくりしました。
でも駅前からちょっと離れて関門橋近くに行くと人も少なく、なかなか趣深かったです。賑わっている場所も嫌いではないですが、落ち着いた昔からの雰囲気が漂う場所の方が好きです。
門司港を見たあとは電車で小倉へ。小倉城にも行ってきました。
小倉城の歴史は戦国末期に毛利氏が築いたところから始まります。その後、1600年、関ヶ原の戦いで功績のあった細川氏が守るようなり、細川氏が肥後国に転封されたあと小笠原氏の居城となります。今の天守閣は昭和34年に再建されたものとのこと。
天守閣には入りませんでしたが、なかなか立派ないい感じのお城です。城内を歩いて、石垣とか堀を見るとワクワクしてきます。お城、いいですね。
小倉では商店街にある『湖月堂本店』でお昼ごはんを食べてきました。このお店は和菓子屋さんなのですが、『喫茶去』という「甘味とお食事処」があります。ここで親子丼を食べましたがとても美味しかったです。帰りに栗饅頭を買いました。
さて最終日、飛行機の時間が早かったので1か所だけ…。大濠公園に行きました。ここは福岡城もあり、堀というか池というか、広い水辺があります。こういう場所が家の近くにあったら楽しいだろうなぁ…なんて思いました。お散歩やジョギングをしている人も多く、市民の憩いの場なんでしょうね。
と、二泊三日の短い旅行でしたが、吉野ヶ里遺跡や門司港、小倉など初めて行った場所も多く、楽しめました。普段と違う街をお散歩するのは刺激的ですね^^