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公立出身!?医学生の意外な中学時代
【はじめに】
はじめに、簡単に自己紹介をさせて頂きます。
Haruと申します。現在、医学部医学科に在籍している大学2年生です。
私は、小中高と地元の公立学校育ちで、その後2年間の浪人生活を経て、医学部医学科に合格しました。
このいわゆる「公立ルート」は医学部に合格する受かり方で最も少数派であり、医学科全体の0〜10%に属すそうです。
しかし、そんな私は天才型ではなく、「努力型」の人間であると自負しており、特に今回のトピックである中学時代はその努力脳を培った、医学部合格を説明するためには避けて通れない大切な時期でした。
さて、本日はそんな私を作った中学時代を振り返ってみたいと思います。
受験生の親御さんには必見の内容となっていますので、是非、ご子息様、ご息女様とお比べになられながらお読み頂き、何かを感じ取って頂けると光栄でございます。
【中1】
読者の方は、私がさぞ、中学時代から勉強ばかりして、よくいらっしゃる優等生パターンの方なんですよねと思われている方もひょっとすると少なくないのではないでしょうか。(笑)
しかし、実を言うと今の医大生という立場からすると、それとはかけ離れた状況での生活から1年生が始まります。
もしご期待されていらした方がいらしたら申し訳ありません(笑)
一言で中学生活を振り返ると、中学生時代はなんと言っても部活動一択の青春でした。
小学生の時からバドミントンに打ち込んでおり、本気でオリンピック選手になりたいと思っており、その気持ちは小学校卒業時の卒業文集にも書いていたほどで、また、中学入学時にはその気持ちが益々エスカレートしていました。
そんなこんなで、中1の時の定期テストの成績は約200人中100位ぐらい(笑)
ただ、そんな自分に中1冬、転機が訪れます。
そして、この転機こそが後に公立出身医大生をつくります。
中1の冬になると、通っていた中学校や地元の高校は、県内では屈指の強豪校だったものの、全国レベルには程遠いと判断し、全国で戦える選手になるためには環境を変える必要性を感じるようになりました。そして、高校ではバドミントンで全国常連の学校に行きたいと思うようになりました。
転機が訪れたのは、この気持ちをダメもとで父に相談した時のことです。
なんと、「県大会で優勝して、学校の成績も常に5番以内に入っていれば、行ってもいいよ」と予想外の返事が返ってきたのです。
私が行きたかった高校は、学業にも力を入れている県内でも有数の進学校であったため、ここまで無理難題を言われるのにも合点がつきましたが、なぜか、このことが自分の闘争本能に火を付けました(笑)
今も昔も、我が家は人並みでいいというスタンスの家庭なので、県外の高校に行くなんてもってのほかです。ですので、それを阻止するために、父は無理難題を突きつけたのだと感じました。
ただ、当時、私は生まれてから父からの愛を十分に感じていなかったこともあり、これを必ず達成させることで、夢を叶えると同時に父の自慢の息子になろうと決意しました。
こういった経緯があり、その後は、文武両道を目指しました。
中学1年生が朝6時前後(早い時は5時ぐらい)に起きて、朝練、夜はほぼ休みなしで週6で練習、そして登下校の移動時間や授業間の休み時間等は全て暗記系の勉強をしました。
移動時間で暗記(アウトプット)するにはどこかでインプットする時間が必要と感じた私は、アスリートとして睡眠時間を削りすぎることは避けたかったので、授業に120%の集中力で臨み、そこで疑問点をなくしていました。
ほんとすごいですね。すごい、昔の自分。(笑笑)
【中2】
そんなこんなで、すぐには成果は出なかったものの、気づいたら1年後の中2冬に学年で2番になってました(これには私も両親も友人も先生もみんなびっくりでした笑笑)
そして、時系列順が前後してしまいましたが、中2の夏の県総体の団体戦でのことです。(※県総体;全国大会に繋がる最も重要な大会。年に一回夏に開催される。)
中2ながら団体メンバー(サッカーでいうスタメン)に抜擢され、他校の3年生の先輩方に次々に勝利して、団体戦で優勝しちゃったんですよね(笑)
こんな感じで、気づいたら、中2の時点で、父が提案した無理難題を全て制覇してしまったんです(笑)
また、その高校が有名進学校ということもあり、内申点とかも稼がなくては(汗)と思って、中2の秋には生徒会にも立候補してました。
それまで全校生徒の前に立つ経験が一度もなかったので、これも周りが騒然として(笑)
このような感じで、目標(行きたい高校に何としても行くこと)を成し遂げるために、これでもかというほどの努力をしてた中学時代前半でした。
【この経験を通して伝えたいこと】
私がこの話で伝えたいことは若者とご両親に分けて大きく4つです。
まずは、若者へ。
若いうちは、自分のやりたいことや、夢に向かって果敢にチャレンジしてみて下さい。それがどんなに周りにとって、無理に思われるものでも、馬鹿にされても、やることに価値があります。実は、後に紹介する中3の最後の県総体で団体戦、個人戦ともに3位という虚しい結果で終わってしまったのですが、この中学時代に努力したことが、大学受験ではもちろん、大学生となった今でも人生のあらゆる局面で糧になっています。
そして、もう一つ。誰もあなたのことそんなに見てないから自由にやったら
ということです。たしかに、凡人が最初は、「東大に行く!!」とか「全国大会に出場する!!」など言ったら、周りからは変な目で見られたり、「やめときなよ」など悲しい言葉をかけられるものです。ですが、それは物事の最初だけです。騙されたと思って、最初の1ヶ月間続けてみて下さい。誰よりも早く体育館に行き、コートを作る。いつもよりも提出物のクオリティを上げる。1ヶ月間、周りよりも至高なことをしていると、段々とその本気度合いが伝わり、誰も何も言わなくなります。そして気づいたら、その周りとは計り知れないほどの差を生み出しています。ちなみに、この冒頭の言葉は私が尊敬する日本人米国心臓血管外科医の北原大翔先生(シカゴ大学)のお言葉です。今後、別の形でもご紹介させて頂きたいと思います。
今回は是非、上記の2点。
・自分のやりたいことや、夢に向かって果敢にチャレンジしてみる
・誰もあなたのことそんなに見てないから自由にやったら
を持ち帰って頂ければなと思います。
次に親御さんへ。
医学生となり、医学生はもちろん、東大生、早慶生など、巷ではいわゆる人生の勝ち組と賛美される方々とお会いする機会に多く恵まれ、思うことがあります。つまり、ネットの情報ではないです。良くも悪くも肌身で感じてきたことです。
彼らの多くは小学生の時に、ご両親の愛と知恵で中学受験なるものを強いられ、中高一貫校に入学したかと思いきや、次は有名塾に入塾し、夜遅くまで、勉強してきた…という方がほとんどです。
これを良しとするかどうかには賛否両論あり、私自身、受験期にはそのライバル達に追いつきたいとかなり苦労した経験があるので、この日本社会の構図に関しては、なんとも言えないのですが、若い時期だからこそ、「やりたいことをやらせる、干渉しない、応援する」これが大事だと思います。そして、この大切さは私の冒頭の人生経験をここまでお読みになった段階で気づいていただけたかとも思います。
これは私以外の他の東大生、早慶生、医学生のほとんどが、勉強以外に何か打ち込んできたものがある事実がその有益性を裏打ちしているように思います。
確かに、私は田舎の公立出身ということもあり、受験勉強の正攻法に関する情報不足で2年も余分にかかってしまった経歴はありますが、私の頃から既に、ソーシャルメディアの普及によって情報弱者は自己責任の時代に入っていました。だから、地方出身だとか東京出身だとかは情報の点では関係ないです。
今回は是非、上記の2点。
・「やりたいことをやらせる、干渉しない、応援する」
・情報弱者は自己責任の時代
を持ち帰って頂ければなと思います。