議論だと思ってバカを見ました

「これフェミ」が話題でしたね。
twitterアカウントも持っていないで、ふらふらと普段は眺めているだけの身ですが、あまりにも愕然として、行き場のない怒りを娯楽のように消費してしまいそうなので、落ち着くため少しだけモノが書きたくなってしまいました。
※この件を追っていない人にはブツ切りで解りにくいと思いますので、ご了承ください。

自分の立ち位置 
こういう人の感想です、ということを説明だけしておきます。
まず今回の対立軸っぽく言うとオタクでもフェミニストでもないです。ゲームは何年もやっていないですし、アニメもまぁジブリとかを見るくらい。
他には、流行っているものがあれば聞いたことがあるなーくらいです。
一方フェミニストでもないです。
男女もまあ平等の方が理念としては良いし、でも現実には色々な問題があるから何でもかんでも変えるのではなく、改善を進めていければって思っていますし、もちろん性犯罪は許されないよ、というスタンスです。
ただネット上の過激な言論には到底ついていけないですし、失礼な言い方すればバカだなと思っています。
今回の発端になった献血の件も含めて、この辺がやらかした炎上案件については大体の範囲では把握しているレベルです。

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追記
読み返して、ちょっと自分が狡いなと思いましたので、追記します。
オタクでもなくフェミニストでもないというだけでは本来のスタンスより中立を気取りになってしまっていました。
表現の自由・規制に関しての考え方も明らかにしておきます。
「表現は自由であるべき、その表現が綺麗汚い、快不快に関わらず」これが僕の考えです。
表現規制が容認されるのは以下の条件が満たされる場合に留めるべきと捉えています。
・規制されない場合の被害がデータとして提示できるものであり、損害と表現の間に科学的な根拠に基づく因果関係が認められること
・規制を運用する人間の主観的な判断が介入する余地のない、明確な基準を定めていること
これが本当に可能なのかどうかについては考えが纏まっていませんが、ここから後退するつもりは今のところありません。

お二人への当初のスタンス
全体を通しては青識亜論氏に理があると思っています。彼の発言について全面的に賛成ではありませんが、筋が通っていると考えています。
一方で石川優実氏については「うーん…」基本的には批判的な立場です。
難しいのがtweetでもすぐに前言と矛盾した発信があったり、さっきまでの理屈では到底賛成できないことに賛成したりがあり…ブレが大きすぎないでしょうか。
そのため個別具体的には支持できるものがないわけではないですが、そもそも正直よく解りませんが本音です。
ただ僕はどうしても男なので、言語化しきれていないものについては想像が足りないこともあるでしょう。
特に「モノ化」というものがどうしても腑に落ちないことが多く、賛意を示すネックになっていると思います。

討論内容について
当日の内容は何分不参加なので何人かの言及している人のtweetを見ています。
また、みやもと(八朔)様の議事録を参照にさせていただきました。
https://note.mu/haruki839/n/n59830d64491b
思考の整理に大変役立ちました、見ず知らずの者がお伝えするのも恐縮ですが御礼申し上げます。

で、印象はネット上と殆ど変わらないですよね。
青識亜論氏に関しては、まあ理論武装は十分でも感じが悪い、と。
個人的にも、相手の問題もあると思いますが、彼がよく呟く「はあ」「そうですか」には好感が持っていません。
石川優実氏は理屈としてどうであれ、何とか最後まで渡り合ったし、すぐに逃げるネットだけで粋がるフェミニストとの違いを見せた。 
ただ「規制より配慮」というところは首を傾げざるをえませんでした。
僕にはこの件で配慮が誰にどの程度必要なのか明確に線引きすることなど不可能と考えているからです。

だから、議論は前進していない、でも顔を合わせるコミュニケーションになった、その一事をもって僅かでも良い方向に回っていけばいいな、がここまでの捉え方でした。 

だからこそ、この後の一連の流れと彼女の発信内容にはひどく失望しました。
はっきり言って、真っ当な大人の取るべき態度ではない、軽蔑します。
今後の自身が発信することへの信頼性を貶めた行為だったとしか言いようがないです。
少なくとも彼女の発言はいつ翻るかも解らないレベルでしかないと僕は認識をしました。
この落胆というかやるせなさが慣れない書き物をする発端になったのです。

やっと、前置きが終わりました…
なぜ、ここまで青識亜論氏と聴衆を愚弄した振る舞いが発生してしまったのか、いや現在進行形で愚弄し続けているのか…

どうしても納得できないので、自分なりに仮説を立ててみました。

僕の仮説は
「彼女は最初から自身の主張の整合性・妥当性を理解させる気がなかった」
です。
つまり、対話のふり、討論のふりをしていたのだろうと考えています。
他の方も多くの分析をされていますし、より説得力のある論もあるかと思いますが、自分なりに整理をした結果です。

で、ここから進めていきます。

今回の件については当然本人の資質が大きいですが、他にも要因が重なっているのではないかと考えます。 

説得を必要としない環境 
第一の要素として考えているのが、環境の要因です。
彼女のkutoo運動は一躍メディアの寵児になりました。
それも今年の流行語大賞候補に選出されるくらいの勢いです。
そのため、この運動の正当性やプロセスの検証は厳密にされてきていない状況と言えるでしょう。※ちなみに僕はkutooの理念に関しては賛成しています。
結果kutooに留まらず彼女の発言は内容の正否を問わずに受け入れられメディアを通して拡散することになりました。
嫌な言い方をすればネットの(一部の)世界以外ではいつでも「いい子いい子」してもらっているのです。
そうなれば、根拠もなく思ったことを言い続けてもそれが正しいと疑いを持たなくなるのではないでしょうか?
そして、これに異を唱えることは悪であると誰かが一緒にレッテルを張ってくれるのです。
僕が目にした新聞のインタビュー記事の中では彼女の主張に疑義を呈するネットの批判については批判ではなく「非難」「中傷」「心無い一言」で片づけられていたように思います。
勿論、明白な侮辱や見るに堪えない暴言があったのは事実でしょうが、それだけではなかったはずです。
だから、彼女にとっては討論での青識亜論氏の主調や参加者の質問を全て「中傷」さらに言えば「ハラスメント」と受け取ってしまう状況に陥っていたのではないでしょうか。 

討論で「勝つ」必要がない

※討論で「勝つ」「負ける」という表現を使用しますが、少々大袈裟な見方かとは思います。彼女が討論で「勝つ」はその場で共感が得られて気分が良くなる、「負ける」は共感を得られずに気に食わない程度のものだとご理解ください。

もう一点が、イベントだけでなく後々のこと、そして彼女のバックグラウンドを考えれば、参加者に自分の意見の正当性を認めてもらう必要が全くないということです。
彼女自身は討論に「勝つ」つもりで登壇した、とは思います。
しかし、そこに切迫感があったでしょうか?邪推になっていまいますが、どこかで、そこまでムキになってやることでもないと捉えていたように見受けられました。
そもそも青識亜論氏は所謂ネット論客の中でも相当に議論慣れをしており、丸腰では論戦・論争で丁々発止にやりとりを繰り広げることは難しいでしょう。
ただのギャラリーの僕ですら解りますし、既にオンラインでやり合った彼女だって解っているはずです。
にも拘わらず、参加者の呟きからは準備不足を指摘があり、この辺りは確かな事だったろうと僕は捉えています。
仮に僕が彼とこのようなイベントをするとなれば、せめて勉強して理論武装をするでしょう。万が一でも言い負かせたら気持ちいいでしょうし、散々にやり込められて赤っ恥かきたくないですから。
でも、彼女は多分やっていない、少なくとも明らかに不十分だったように思われます。
どうして最善の準備をしないのか?なぜか?彼女にはそんな面倒なことをする必要が欠片もないのです。
彼女にとってはイベントの場に現れることだけが必要だったのです。
オタクどもを束ねて迫害してくる青識亜論氏と差別主義者の集団に一人で乗り込んでいった、この事実だけが必要だったのです。
ここで「負け」たことで彼女は殉教者として異教徒に焼かれたことになるのです。
少なくとも彼女はそう認識しているようにしか見えませんし、彼女の盲目的な支持者もそう認識するはずです。
後は簡単で、後から「私は火炙りになった」と告発するだけです。
そこに最早エビデンス等はありませんし、必要でもありません。
よくネットでは被害者マウントなんて言いますよね、これがそれの最たるものです。
ただの被害者ではない、敢然と差別主義者に立ち向かった、にも関わらずに、凌辱された。
弱者になりたいのであればこんなにキャッチーなことはないでしょう。
結局このイベントは彼女に箔をつけるための儀式でしかなかったのです。
イベントに尽力された関係者と青識亜論氏には申し訳ないですが、この討論の過程は少なくとも彼女にとって何の意味もなかったのでしょう。
この見方でいくと、勝部元気氏やその他の会場に来ていた石川優実氏シンパが声を挙げなかったことも、数多くのフェミニストが会場に来なかったのは戦略としても正しいのです。
「か弱い女性が勇気を振り絞って立ち向かった」とするには誰かと一緒のチーム戦や、庇ってもらうより、孤高の闘いの方が恰好いいですからね。
ただ動機自体は指摘されているように金を出さない、ネットで粋がっているだけというのが当を得ているとは思います。  

今後について

僕は石川優実氏が勝利したと結論づけています。
※青識亜論氏の敗北かというと少し違うのですが…余りにも条件が違いすぎます。
一部には彼女の欺瞞が明らかになったという人もいるでしょう。
ただ僕はネットの言論、というかネットでの個人の発信が世の中に与える影響力について、この件のウォッチャーの多くより恐らく悲観的です。
個人の声が広がるには結局はマスメディアが拾わなければならないという印象があります。「日本死ね」とか「煽り運転の動画拡散」あたりが典型例だと記憶しています。
今回の件では、どのような記者が取材していたのか把握していませんが、少なくともwebメディアのライター等が討論の中身に触れることなく彼女を支持していた、持ち上げている呟いているのは複数見かけました。
おそらく、この顛末も愚かな差別主義者たちがハラスメントのために開催したイベントだったと世間的には位置づけられるのではないでしょうか。

 ただ、僕はこれをデマとは言わないでおこうと思います。
「ストーリー」なのです。それも極めて即物的な。
そして発信する記者たちも「ストーリー」の出演者なのです。
「正義の美しい社会活動家がおぞましい物を好むオタクたちから迫害を受け力尽きた、正義の記者が殉教した彼女を言い伝え、彼女は復活する」解りやすく美しいお話ですね。
デマを撒き散らす以上に醜悪でしかないと、ただ、そう思います。
そう考えると、暗澹たる気持ちになるのです。 

ここまで長々とした文書を書いたのは本当に云年ぶりです。構成、文章、拙いところが多いかと思いますが、最後まで読んでいただけたことに感謝を。 

今回、「登壇者二人の資料のやりとりに齟齬があった、嘘があった」、「石川優実氏がフェミニストに「総括」された」という情報も見ましたが、僕の中では何が事実か、確からしいことは何かを判断しきれませんでした。そのため、この考察に対する材料としては考慮しておりませんことを書き添えます。  

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