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自死遺族として生きる/自死で亡くなった身内や親戚


私の身内や親戚には、自死で亡くなった人が何人かいます。

私も以前は「死にたい」と思ったことがありました。

私の周りの人で自死をしたのは、兄、伯母、祖父、いとこで、もう一人のいとこは自死か事故かわかりません。

祖父と自死したいとこは、会ったことがなく、聞いた話だけです。


私にとって「死」が身近なものでした。

色々な死の中でも、自死は周りの人に強いショックを与えて、その後何十年も影響を与え続けるものだと感じています。

もちろん、事故や病気で亡くなったことと、比べているわけではありません。


自死は、本人だけが理由を持っています。

「なぜ?」「どうして?」
「あのときのこと気にしてたの?」
「あれが原因?」
「相談できなかったの?」

周りの人は、こんな疑問がたくさん湧きます。でも、答えはありません。
想像するしかありません。

答えがないので、ずっと問答を繰り返します。

自分を責めたり、受け入れたり、受け入れられなかったり、誰かに話してもモヤモヤしたり。
「分かち合いの会」に行ってもモヤモヤしたり。

カウンセリングとか、セラピーとか、ヒーリングとかも、何か違う。

(あくまで、私の考えです)

このようなことを繰り返しながら、日々を過ごしています。

私の文章が、少しでも誰かのよりどころになったり

何かの役に立てたらと思い、書いています。



兄の自死


私にとって、一番身近な人の死は、兄の死です。

2011年に、兄は亡くなりました。
当時、兄は28歳で、私は24歳でした。

兄が亡くなって、もうすぐ14年が経とうとしています。


兄は躁鬱を抱えていました。

兄は昔から人とのコミュニケーションが苦手で、
内気で、友達も少なかったようです。

両親も、人付き合いが苦手でした。

私も姉も、タイプは違うけれど、コミュニケーションが得意ではありません。



兄は、遺書を遺していました。

「迷惑かけてばっかり」
「消えます。さようなら」

こんなことが書いてありました。

本当に大迷惑かけて、平気な顔して生きている人はたくさんいると思います。

兄のいう「迷惑」は、どの程度だったんだろう?

人によっては「もっと頼ったらいいのに」と思われるような人だったようにも思います。


私は兄の遺体を見ていません。
だからなのか、兄が亡くなったという実感がないまま、14年近く経ちました。

兄の死を、自分の中のどこに置いたらいいのか。
わからないままです。


伯母の自死


兄以外にも、親戚に自死した人がいます。


一人は、母方の伯母にあたる人。

私の母の、一番上の姉です。

伯母は、自宅で首を吊りました。

私が高校生のときでした。

同じ市内に住んでいて、時々、母と一緒に伯母の家へ遊びに行ってました。

伯母の家には猫が1匹いました。怖がりな猫ちゃんで、触れなかったけど、すごく可愛いくて、猫に会うのも楽しみでした。


私は伯母が大好きでした。

頭が良くて、品があって、素敵な人でした。

でも、伯母の家も、色々な闇があったようです。

母が、伯母が亡くなる1週間前に会っていて、
母の帰り際に
「私、〇〇さん(夫)が、もう無理なんよ・・・。」
と言いながら、玄関にへたり込んだそうです。


母は
「あれ、助けを求めてたんよね・・・。」
と呟いていたのを覚えています。

帰り際だった母は、特に伯母の話を聞かなかったようです。

まさか、亡くなるなんて。かなり、追い詰められていたようです。
でも、母を責めることはできません。


その旦那さんとは、私は一切話したことがありません。それどころか、顔もちゃんと見たことがありません。

「家のどこかにいる」という気配は感じました。

伯母の家の玄関先から庭まで、びっしりと壺のようなものが置いてあったのを覚えています。

色々な形、色々な大きさの壺。
ちょっと、奇妙な雰囲気でした。




私は、伯母の通夜に参列しました。

伯母は綺麗にしてもらっていて、本当に生きているようでした。
今にも起きそうな。今にも目を開けそうな。

私は通夜の間、通夜が終わって家に帰るとき、
ずっと泣きました。



おばちゃん、大好きだった。

いつも、私たちが乗った車が見えなくなるまで手を振ってくれてた。


母も、早くに親を亡くしたから、伯母のことを頼りにしていました。


できれば、おばちゃんにまた会いたい。



旦那さんは、伯母が亡くなった1年後に亡くなりました。

ご病気だった、とだけ聞いています。


祖父の自死




直接会ったことはありませんが、
私のおじいちゃんも自死だったと聞いてます。

父の父で、私が産まれる1ヶ月前に亡くなりました。


おじいちゃん、おばあちゃんとは同居していました。

おじいちゃんは、自宅にあった車の中で、練炭自殺をしたそうです。


私の兄と姉はおじいちゃんと暮らしていました。


兄と姉は、腕に、火のついたお線香を押し付けられたと言っていました。
おじいちゃんにとって、それは「しつけ」だったみたいです。


おじいちゃんは、借金をしたり、謎の壺を買ったりしていた、と私の父が言っていました。

おばあちゃんの貯金まで使ったらしいです。


なんか、、、それを聞いて、やるせない気持ちになりました。

私はおばあちゃんが大好きなので、なおさらです。



父は、おじいちゃんが大嫌いだったようですね。

「クソオヤジ」と言ってました。


私は、写真にちょっとだけ写っているおじいちゃんを見ただけ。

私の産まれる1ヶ月前、そんな大変なことがあったなんて・・・。


この話、姉には聞いたことがないけど、姉は覚えているのかなぁ。


いとこの自死




私のいとこも、首を吊って亡くなってます。

父方の親戚です。

このいとこは、私の実家のすぐ近所に住んでいました。

ですが、何十年も引きこもっていたようで、
私は会ったことがありません。

そのいとこの存在も知らなかったです。
私より10歳ほど年上だったと聞いています。


いとこはエッセイを出版していて、
母が持っていた1冊を、私にくれました。


繊細で、鬱々した感じの、詩集みたいなものです。

私はなぜかその本を、今も大事に持っています。



私が小学生のとき、その親戚の家の猫に会いに行ったことがあります。

おじちゃんとおばちゃんは、優しくてあたたかみのある人たちで、私は好きだったんです。

ひとしきり猫と遊んで、自分の家に帰ったら
父にものすごい怒られました。

怒る理由は教えてくれませんでした。

今思うと、その引きこもっていた、いとこがいたからだと思います。

ただ怒られた私は、その家には行けなくなりました。
私は猫に会いたかっただけですが、大人の事情があったんですね。



そこのおじちゃんも数年前に亡くなりました。

おじちゃんは、どんな思いで過ごしていたんだろうな・・・。



いとこの死 自死か事故




自死か事故かはわからないけれど、また別のいとこが孤独死しています。


今から5年ほど前です。

先ほど書いた、母の姉、首を吊って亡くなった伯母の、娘です。

そのいとことは、私は仲良くしていました。
10歳くらい年上でしたが、なんとなく、合うものがありました。

いとこは、勤めていた会社でパワハラを受けて、鬱になり、退職。
それからずっと一人暮らしのアパートで、貯金で生活していました。

いとこは車に乗ると、パニック発作を起こすようで、車は売っていました。

いとこは、博識で、頭も良く、気さくでした。
大好きだった伯母に、雰囲気がよく似ていました。

私も当時、兄が亡くなったことや、同棲していた相手とのことで(のちに結婚し、離婚する)メンタルが不安定なところがあったので、精神的に頼りにしていました。


私が結婚して、元夫の地元へ移住した1ヶ月後にいとこは亡くなりました。


いとこは、クーラーの冷風に当たり、亡くなっていたそうです。
死因は、凍死。

冷房が16℃になっていたと聞いてます。

いとこは猫を5匹飼っていました。

いとこがウトウトしているときに、猫がエアコンのスイッチを押してしまったのだろうか?

自分で、やったんだろうか?

本当のことは、わからないままです。



私は移住先から、葬儀に駆け付けました。新幹線で3時間ほどです。

発見が、亡くなって2週間くらい経っていたようで、顔が変色していたそうです。

柩の中のいとこの顔には「綿布」がかかっていました。

顔を見たい。そう思って近づきましたが、
「見ない方がいいです。」と葬儀社の方に言われました。

私は、その方の言うとおりに、いとこの顔を見ませんでした。



このいとこを発見したのは、私の母でした。
母もこのいとこと、よく連絡を取り合っていたみたいです。

私がしばらく連絡しないうちに、母はいとことやりとりしていたけど、突然返事が返って来なくなり、心配で見に行ったそうです。

母の友達が、「行った方がいい!」と後押ししてくれて、その友達も一緒に行ってくました。


母が大家さんに事情を話し、鍵を借りて、部屋に入ると、猫が2匹飛び出ていったと言ってました。

残りの3匹の猫たちは、どうなったのかわかりません。

いとこと一緒に、中で凍死か餓死していたかもしれないです。



色々な死と自分の人生


亡くなった人の中で、私が直接関わったことのある人は、兄と伯母といとこです。

もう一人のいとこと、おじいちゃんのことは、話を聞いただけです。


「なんか、暗い一族だな・・・。」と
私はよく思っていました。

そして、私も「生きづらさ」を抱えていたので、その血を引き継いでいる感は、すごく感じるところがあります。

でも、その血を引き継いでいたとしても、それを受け入れて、私はこれから自分の人生を生きたいと思っています。


ただ、亡くなった人たちのことが思い浮かんできたとき、振り払うことは私にはできません。

だから、そのときの考えや気持ちに抵抗せずに

亡くなった人を思うときは、静かに過ごして

自分のために生きるときは、自分の時間を過ごす。


自然のなりゆきに身を任せるといいますか。


なかなか、それができないときもある。

綺麗ごとには決してできない。


でも、自分の人生を生きるしかない。


繰り返し繰り返し、上がっては落ちて、

今はそんな風に思っています。



私の、この経験を書くことで、誰かの役に立てたら嬉しいです。


周りの色々な死は、なかなかすぐに受け止められることでないと思うんです。

冒頭でも書いたように、特に自死遺族は、特有の苦しみがあります。


ここに書いていくことで、ほんの一時でも、読む方の心に灯が灯るといいなと、そう願っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。




















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