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自分でほしい環境をつくることも大事だし、いまある環境を楽しむことも大事


以前から気になっていた本を友人が持っていたので、最近借りて読んでいました。ちょっとずつ読み進めてついに読了!

タイトルは『ここじゃない世界に行きたかった』。著者は大阪出身の随筆家、塩谷舞さんです。SNSを拝見していて、本のタイトルもなんか気になるなあと思っていました。

なぜなら、わたしもここ数年置かれた環境から抜け出したいと思っていたから。

新しい地でのもやもや

これまで高校卒業までは地元の福井、大学で大阪、就職を機に名古屋に住んできました。

地元を出て4年間暮らした大阪。初めての都会暮らしで関西のノリもすごく刺激的で楽しかったです。双子の姉と2人暮らしをしていたのも寂しくなくて楽しく過ごせた理由だと思います。

そして就職をきっかけに始まった名古屋でのひとり暮らし。ここで働きたいと思える職場があったので、新しい地での生活を決めました。
三大都市圏といえば「東京大阪名古屋」っていうし、名古屋は大阪と似たような感じなのかなと思っていましたが、実際に住んでみるといろいろカルチャーショックがありました😳

まず名古屋の会社に就職したら、わたし以外の人はほとんど地元出身の人ばかり。そして関西のノリのよさやぶっ飛んだ感じ(笑)に慣れていたので、出会う人は保守的な人が多くてなんとなく物足りなさを感じていました。(ごめんなさい🙏)

わたしは新天地で頑張るぞとそれなりの覚悟をして就職を決めたので、リスクを取っている人とそうでない人だとやっぱり心持ちが違うなと感じることが多くて、仲はよかったけどなんかもやもやしていました☁️

配属先は歳が離れた人が多く、昼休憩は家族のことなど取りとめない話ばかり。わたしは仕事のために新しい土地に来たんだから、夢とか仕事のこととかもっと前向きな話がしたい!と違和感を抱えながら過ごしていました。やる気に満ち溢れていたので、なんか自分の成長が頭打ちになってるな…という感覚もありました🥺

暮らすまちがちょっと好きになってきた

そして社会人2年目が終わる頃、地元に戻って活動したい気持ちも出てきたし、関西でもおもしろそうな仕事があって、新卒で入った会社を辞めるかどうかかなり悩んでいました(早い)。

その少し前に(今も仕事で関わっている)まちづくり関係のNPOとの出会いがあったり、気の合う同志のような友達ができたりと少しずつ変化がありました。

親にも地元に戻ろうかなと相談したら、まだ2年目なんだしもうちょっと頑張ってみたらとの言葉。夜も眠れないくらいぐるぐる悩んでいましたが、せっかく名古屋での暮らしが楽しくなってきたしもうちょっと続けてみるかという気持ちになりました。あと1年続けてみて、それで考えようと。

当時のSNSへの投稿

そして迎えた社会人3年目。いまの夫と付き合い始めて、仕事以外にも名古屋にいる理由が見つかり、なんだかんだ楽しく過ごしていました。

それでも違うまちに住みたいという葛藤

そこから数年が経ち、また仕事を辞めようかなという波がやってきました。夫も姉もフリーランスとして仕事をしていたこともあるし、他にも楽しそうに働いている人が周りにいて「このままでいいのかな」という気持ちに。

正直コロナ禍での相談窓口の仕事がかなりハードで、かなりのストレスを抱えながら仕事をしていました。

就職してからずっと「地方移住」「ローカル」「まちづくり」の分野に興味があり、わたしもいずれは地方でまちづくりの仕事をしたいなあと地域おこし協力隊の求人も時々見ていました。

そして社会人6年目の秋頃、年度末で仕事を辞めることを決意。古民家で場を持ちたいという夢もあったので、名古屋で古民家を借りられることになってそのことも背中を押してくれました。でもせっかく仕事を辞めるのに、まだ名古屋にいるのか…という葛藤もありました。

夫は名古屋周辺で地域に根付いた仕事もしているし、友達もいるからよほどのことがないと離れる理由はないという意見。わたしは地方で仕事をしてみたいし、人や情報の溢れる都会での生活に疲れてきて、なんかしんどいなあと思いながら過ごす日々。

瀬戸内海や琵琶湖などの穏やかな水辺の近くに住みたいという憧れがあったので、移住先を探すためにひとりで行政が主催する移住ツアーにも参加していました。

ここに住めたらいいなというまちは見つかりましたが、仕事の目処はない状態。夫からは知り合いもいない土地に2人とも仕事を辞めて引っ越すのはハイリスクじゃない?と言われて、一旦思いとどまることに。(わたしは勢いで進むタイプですが、夫はちゃんと石橋を叩いて進む性格。笑)
そして数年にわたって紆余曲折ありましたが、今も名古屋に住んでいます。


自分にとって欲しい環境をつくる

会社員時代にもやもやしていた働く時間や場所、関わる人、仕事内容など、何が自分にとってしんどかったのかを分析して、どういう環境に身を置いたら、自分らしくのびのび働けるのかを時間をかけて考えてきました。

そしてフリーランスとして、名古屋に住みつつ自分が関わりたいと思える複数の仕事をすることにしました。いわゆるパラレルワークというもの。地元に関わりたい気持ちもあるので、月に1回ペースで帰りながら関わりしろを探っています。

いまの仕事のスタイルになって数ヶ月が経過しましたが、いまも仕事と暮らしのバランスを探り中です。仕事はすごく楽しいしリスペクトできて感覚の近い人たちと働けているので、かなりいい環境がつくれているなあと感じています。

いまある環境を楽しむこと

名古屋に住み始めて今年で8年目。まさかこんなに長く住むとは思わずびっくりしています🫢

いま暮らしている家やまちにも愛着が出てきたし、仕事も始めたばかりで頑張りたいと思っています。

ずっと他のまちに住んだら楽しく暮らせるんじゃないかという考えだったのですが、最終的には自分がいまある環境でどれだけ楽しめるかだよなという結論に。当時、夫からは「隣の芝は青いね」とよく言われていました。笑

本の話に戻りますが、塩谷さんは以下のように書いています。

そんなつくられた町は、退屈でつまらないと飛び出した。けれども故郷をつまらなくしていたのは、「ここには何もない」と諦めていた自分のほうだったらしい。

『ここじゃない世界に行きたかった』p.266

暮らしをおもしろいと思うのも、おもしろくないと思うのもすべては自分次第。もちろん自分にとって心地いい環境に整えていくことは大事ですが、それと同じくらいいま手の中にあるものに目を向けて楽しんでいくことが大事だよなと感じました。

この先の人生、どこで暮らしているかはまだわかりませんが、その時の自分たちの状況や気持ちに合わせながらしなやかに楽しんで生きていきたいなと思います☺️

(おまけ)
写真は大津で見た琵琶湖。
これからも癒しが欲しくなったら瀬戸内や琵琶湖など大好きな水辺に足を運ぼうと思います!

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