「ごんぎつね」のその後の話
あれは小学校の3〜4年ごろだったと思うが、国語の授業で『ごんぎつね』を読んだ。
有名な話なので知っている人ばかりだと思うが、簡単にあらすじを書くと、
いたずら好きのキツネごん。毎日悪さして村の人たちに迷惑かけまくり。
病気の母を持つ兵十という男がせっかく母のためにとった魚やうなぎを、ごんが逃がしてしまう。
その後兵十の母のお葬式を見たごんは、自分が逃がした魚が兵十が母親に食べさせるために獲ったものだったと知り、後悔する。
罪滅ぼしがしたいと思ったごんは、魚とか栗とか松茸なんかをこっそりと兵十の家に届け続ける日々を送る。わけがわからず戸惑う兵十。
ある日、家に忍び込んだごんに気づいた兵十は、火縄銃でごんを撃ってしまう。倒れたごんのそばに栗が置いてあったことに気づき、これまでの贈り物がごんからのものだったと気づいたところで物語が終わる。
とまあ、こういう話である。
私は物語の最後の文がもたらす余韻が好きなのだが、ごんぎつねのラストはとくに印象深く素晴らしかった。
「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」
子どもの頃はその感覚が何だったのか言語化できなかったのだが、きっとこの結びの文章の凄みに私は打たれたのだと思う。
子ども向けの教材としてこういう結末の物語を学校で扱ってくれるとは、文部省も粋である。
それはさておき。
その時先生から「それぞれラストシーンのその後を考えて物語を作ってください」という課題が与えられた。
今言わせてもらえば、ごんぎつねの終わり方はあれで完璧であり、あの終わり方に込められた意図を考えれば、あれ以上何かを付け加えるのは、それがどんな美しい話であっても本質的に蛇足にしかならないんじゃないかと思うし、もし今そんな課題が出されたら、「それは蛇足だと思う」ということを長文で書き連ねると思うが、まあそれはそれ、
授業のねらいとして子どもたちの想像力を養うという目的があったのだろう。当時の私は疑問に感じることもなくせっせと課題に取りかかった。
さて、覚えている限り私を含めてクラスのほとんどが以下の2パターンのストーリーを考えたと思う。
①ごんは助かり、兵十の手厚い介抱を受け和解する。
②死んでしまったごんを偲んで心のこもったお葬式をする・または立派なお墓をたてる。
たいていの子どもはバッドエンドを好まないから、クラスメートの大半が考えたのは①のほうで、とくに女子にその傾向が強く出ていたように記憶している。
描かれた挿絵もごんが笑顔で兵十の介抱を受けている、という図だった気がする。
ちなみに私は②だ。たいして想像力も巡らせず、「豪華な墓を建ててやりました」という安直なオチを考え、簡潔な文と不謹慎なくらい豪奢でキラキラした墓の挿絵を描いて、それでヨシとした。ダサいなあ。
さて、ここからが本題であるTの話である。
Tは当時クラスいちのお調子ヤンチャボーイで、ちびまる子ちゃんのハマジをもう少し手に負えなくしたような、粗暴で下品な男であった。すまんなTよ、私はガサツな君が全く好きではなかった。
そんな男が考えた話が皆の度肝を抜いたのである。
詳細は忘れたが、彼の考えたその後のごんぎつねとは、【殺されたごんの怨霊が不死身の化物となって復活し、兵十と幾度もの闘いを経て、最終的にトドメの銃弾を受けてついに完全に葬られる】という、文部科学省が血相を変えるような内容だったのである。
これが斬新で面白いと評判になり、思いのほか長尺だったこともあってか、Tは改めてクラス全員の前で教壇に立ってそれを発表するという見せ場まで与えられてしまった。
しかしよく先生もそんな場を与えたものである。あんな物騒な、作者の趣向を完全に無視した荒唐無稽な話を肯定的に受け止めて、ふだん怒られてばかりのTに賞賛の場を作った先生、あんたは偉い。こんな不謹慎な話を作るなんてけしからん、というタイプの先生だったら普段から怒られることの多かったTは確実にグレていただろう。
そんなTの話だが、細かいところまでは覚えていない。話の筋としてはメチャクチャだったと思う。
でもそんなことは問題じゃないくらい、彼の読み上げる文と声からは、生きた物語の躍動とか興奮のようなものが、彼の心の動きとともにありありと伝わってきた。
Tの朗読にクラスは大いに盛り上がり、とくに男子たちは笑いと熱い支持をもって彼の創作を褒めたたえた。
その出来事をきっかけにTは物語を書くことの楽しさに目覚めたのか、休み時間はもっぱら自分の考えた話をクラスメートに話して聞かせ、日記や作文でメキメキ頭角を現し、夏休みの自由研究ではついにオリジナルの長編を完成させ…るような素振りは全くなかった。
その後も相変わらずTは粗暴なハマジとして、スポーツに精を出し下品な声真似をし、たまに先生にカミナリを落とされていたように思う。
私は今でも、当時の自分の凡庸な想像力と彼の見せた創造の躍動を思い出して、悔しくなる。
彼は多分ごんぎつねがそんなに好きじゃなかったのだろう。作者が物語にこめた趣旨なんてわかっちゃいなかった。
でも、そんな彼が創った話の面白さはどうだろう。クラス皆で作ったごんぎつねのその後の話で、彼の話ほど記憶に残るものはなかった。
あのとき本当に面白い話を考えたのは彼だけだった。彼の持つ感性だけが、誰も越えられなかった想像力の壁を超えたのだ。
ごんを手厚く葬り、忘れまいと村全体で語り継ぐ。命拾いしたごんと家族になって一緒に暮らす。そういう筋書きでプロの小説家が話を作り込んだら、ものすごく感動的な仕上がりにできるだろうとは思う。長編に膨らますことも、大人の鑑賞に耐える文章を書くこともきっとできる。
だけど私はあの時Tが、常識に縛られず、何にも忖度せず、その感性のまま書き上げた荒唐無稽で荒削りなごんぎつねの話が私たちを圧倒し、夢中にさせたことが忘れられない。
私は彼が羨ましい。そしてやっぱり悔しい。
Tのその後は、私にはわからない。