会食恐怖症になった頃と今

睡眠障害と、会食恐怖症がある私は、いつからか薬が手放せなくなった。睡眠薬と、抗不安剤が。

会食恐怖症は小学生の頃。牛乳を飲むとお腹が痛くなる体質のせいで、私は怖くて牛乳が飲めなかった。午後からの授業を保健室で過ごすことになると分かっていたから。でもそれを許してくれない先生が、私の周りの友達を使ってでも私に牛乳を飲ませようとした。私がそれに気付き出した頃にはもう、給食の時間は友達皆から注目される時間になった。いつも周りに目があって、私がどれだけ牛乳を飲むかを見張っている。ビンに定規を当てて、今日は何センチ飲んだなどと言って騒いでいる。それを面白がった男子が、今日はどれだけ飲むかにおかわりの権利を賭けはじめて、私を囲む人数は次第に増えて行った。
先生もそれを止めなかった。少しでも牛乳を飲むならそれでいいという感じだった。
それから、人前では食べ物が喉を通らなくなった。喉につっかえて、飲み込めなくなる。いつまでも口の中で食べ物を噛んでいると、次は吐き気がする。早く飲み込みたいのに飲み込めない。このまま口に物を入れていると吐きそうだと思った頃には、パニックのようになって動悸が抑えきれなくなる。自分の体が自分のものじゃないみたいに言うことを聞かなくて、食べるなんて当たり前の行為ができない自分に対してイライラと不安だけが募った。

ちょうどコロナが流行った頃、私は社会人一年目になった。周りはみんな歓迎会ができないとか送別会がなくなったなどと騒いでいたが、私にとっては非常に気楽な世界だった。飲み会の機会がなくなるばかりか、みんなが自ら望んで人と一緒に物を食べなくなった。私だけがおかしな世界じゃなくなった。一緒に食べたくないという思いが、共通認識になる生きやすさに心が躍った。のも、数日だった。気付いたことがある。別に私は、私の生きづらさを皆に体験して欲しかったわけじゃない。誰かとものが食べられないなんてバカみたいな世界を当たり前にしたかったわけじゃない。
私だって何も考えずにみんなとご飯が食べたい。ただそれだけだったのに。

私だって、こうなりたくてなったわけじゃない。きっと私をこうした人達も、会食恐怖症にしてやろうだなんて思ってやったことじゃない。先生も少しでも好き嫌いをなくそうと思ってやってくれたことで、別に私を嫌いだったとかそういうことじゃないのも分かっている。誰も悪くない。

最近、生きづらさを抱える人達が声をあげることが増えた。SNSで発信しやすくなったから。でもそうやって声をあげてる人達は本当の意味で何がしたいんだろうと思う。
私たちは少数派でいい。大多数になってはいけない。
大多数が少数派に気を遣う必要があるのなら、少数派もまた、大多数に気を遣わなくてはいけないはず。どうして生きづらさを抱える人達は、自分たちを中心に据えて大切にされたがるんだろう。反対だってそうなのに。
私はそんな人たちの1人になりたくない。だから、会食恐怖症を抱えていることを誰にも話さず今も1人で黙食を続けている。

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