話す相手が見つからなくて誰にすればいいかわからない話
昔、あんまり上手く話せない相手がいた、嫌いとかじゃなくて
苦手とかそういうわけでもないような。
大体、こんなふうに会話しようみたいなのを想像してから話しはじめるんだけど、なんかそれが通用しないようなそんな相手。(Aさん)
別の人とAさんの話になった時、私は、
"あんまりうまく話せないんだ。
そんなに得意な相手ではないかも"とその人に伝えた。(Bさん)
たまたま、その3人で過ごす機会があって、まあ特に気にせず
何気なく、3人で話してたんだけど、
そのあと解散して、Bさんとふたりになったとき
急に、すこし気に食わなそうな表情で言われた。
Aさんのこと、
あんまり得意じゃなかったんじゃないの??
なんであんなにニコニコ普通に話してるの?それじゃ信用できないし、
みんなと上手くやるのも大事だけどほんとに大切なもの守れないよ
でも日本の女性はそういう人が多いよねと。
私は、咄嗟にAさんとどんなふうに会話してたか記憶をさかのぼる。
自分の中では違和感はなかったし、当たり前の感覚で、
ごく普通だと思ってたけど、
よく考えたら、言われた通りかもしれない。
いやいや、でも、ただBさんこの感覚に慣れてないだけなのではないか…
みんなよくやってること、
苦手、好きじゃないと言いながら
平気な顔して話すこと
うまくやっていくには仕方ないこと
敵を作らないためにやってることだしね…
そんな思考がぐるぐる
ちゃんと意識をしたことがなかった
でもやっぱりその通りだった
このことを私は度々思い出す
例えば友達が、だれかのことを あんまり好きじゃない と話してくる、
でもしばらくして、SNSとかで、
いや、どこが好きじゃないねん!!ってくらい仲良さそうに投稿されてたりする
その度に、
あぁ、こうやってBさんは疑心暗鬼になってたんだろうなと、
そして当たり前が当たり前じゃなくなった私も、同じように人を信じれなくなっていく
こんな気持ちにさせてしまってたんだよな
ほんとに小さい頃から平気で身の回りにあったことだから、人付き合いとはそういうことだという認識だったし
上司の顔色は伺わないと生きてけないのも事実だろうし
成長したってそれは変わらないこと、
媚びたり、空気読みが上手になったり、
その成長がはたして成長なのかはどうだろうか
必要ではあるのだろうけど
それでもBさんには本当に感謝している
当たり前を当たり前じゃないと理解するのはすごく難しいことだから
何が正しいとか何が間違ってるとかは、あまり思わない
ただ、自分にとっては何が気持ちの良いことで
何が不快なことかというくらいの区別はしている
人の顔色を伺うことも、同調することも、私にはやめられないし
もちろんいい顔もしてしまう
だから嘘の顔もいっぱいするし、仕方ない
でもできるだけ嘘は突き通すように、
できるだけね
まあでも本当はそれも本末転倒というか
嘘で塗り固められてるから本心が何かも曖昧になってく
ああ、どうしたものか
結局信用に値するのは、口に出していることと行動がともなっている人なんだろう
わかっていても難しいこと
人付き合いは一生の課題だな〜
誰に話すでもなく、自分の中で消化していかなきゃいけないことほど重たいね
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