離島生活4年目の2021年は試練の1年だった。
Noteブログを書かなくなってから、あっという間に2021年の終わりがやってきました。
昨年に引き続き、Noteを通じて1年を振り返っていきたいと思います。
コロナ禍が続き、社会が大きく変わっていく中、はりやはどんな1年を過ごしたのでしょうか。
1ヶ月ごとに振り返っていく。
◆1月
1月の三が日は、対馬・佐須奈でいつメンと過ごした。
1月はNoteに多くの記事を投稿していた。
全部で10記事書いていたようだ。
この1ヶ月はコロナ禍で外出できないことを逆手にとにかく言語化を意識していた。
自己紹介も書いたな。自分自身のルーツや人生で大事にしていることを記すと自分の軸がぶれずに生きられると思っている。
◆2月
2月はオンライン飲み会が増えて、ダラダラ系の週末を過ごすことが増えた。
そして、イメチェンしたいと髪型を変えてみた。
このセンターパートの髪型は今でも続けている。
「爽やかになったよ。」と評判は今でもいいようだ。
2月下旬には対馬にある廃校だった佐護小学校の利活用にワークショップに参加した。
廃校になった校舎に入るのは初めてのことで貴重な経験で、地元・佐護に生きる方々の想いを聞くことができた。
春から何か始まる予感を感じる2月だった。
◆3月
順調だった歯車が狂い出したのは、この3月からだったと今振り返ると思う。
3月は年度の変わり目で、ぼくが特に苦手意識を持つ時期でもある。
年度の振り返りと新年度に向けた意気込みが交差するシーズン。
年度の変わり目は様々なイベントが発生した。
対馬市市民劇団「漁火」の活動が再開し、新作の読み合わせと立ち稽古に参加したり、
NHK本局のディレクターさんが来島されて、対馬島内を案内したり、
桜の木の下で自撮りしたり、
春の新シーズンの訪れを感じる1ヶ月だった。
「石の上にも3年」を終えた自分の想いを綴ってみた。
そして、4月になったらどんなことが待っているのかワクワクしていた1ヶ月でもあった。
◆4月
「心機一転、パッと生きますか!!」っと、
4月上旬にNHKの1週間密着取材を受けた。
取材当日、対馬でパフォーマンスしてくれた光GENKIさんと撮った1枚。
春の出だしは最高に良かったのだが、それ以降は面白いくらいに何もない日々が続いた。
4月は新年度を迎える最初の月だったが、新年さっそく心が重くなるような相談が入ったのを皮切りに、仕事と上旬のテレビ取材の疲れがたまって大変な1ヶ月だったのだと思う。
フェイスブックも、毎週木曜日に開店しつづけているスナックアイランドのみの投稿になってしまった。
気づけば1ヶ月があっという間に過ぎ去ることを学ぶ4月でもあった。
◆5月
5月初旬は、これまで以上に静かな連休がやってきた。
連休後は、4月からの憂鬱な気分を変えるために、部屋替えをしてみた。
5月中旬には市議会議員選挙の選挙事務に従事したが、嬉しいことに地元の方々がまかないを用意してくださり、さらに夜ご飯までいただいた。
選挙メシを食べて、対馬に生きる方々の温かさを感じる機会だった。
日頃の業務では、これまた嬉しいことに新型コロナワクチン担当課長から市のホームページ作成の依頼を受けて対応した。
コロナワクチン関係のお仕事に携わることができ、また自身の持ち前の広報力を活かすことができ、大変貴重な経験だった。
そして、先月4月に取材を受けた番組が、5月18日に放送された。
久しぶりのTV放送で緊張したが、全国の多くの方々に離島公務員の姿を見せることができ、生きるヒントを少しはお届けできたのかなと思っている。
5月下旬には、コロナ禍で中々飲食店に行くことができていなかったので、久々に1人で気分転換も兼ねて外食した。
5月は4月の憂鬱さを跳ね除けて、ポジティブになれた1ヶ月だった。
そして、苦手な6月がやってくる。
◆6月
梅雨のジメジメした6月は苦手な時期だ。
5月末は残業の嵐に見舞われたが、休んでいる暇はなく、
仕事の関係で対馬に移住してくる方に島内ガイドしたり、自分の家の掃除をした。
そして、季節の変わり目で体調がパッとしないことが多かったので、気分転換に冷やし中華を食べたりしていた。
5月から残業が増えて、金曜日になると翌日が休みであるせいかネガティブになっていた。
そんな中、6月下旬には、福祉×防災の勉強会に登壇させていただいた。
地域包括支援センターの立場で災害対応に関わることの制約や限界を学ぶ機会で、登壇までさせていただいて貴重な時間を過ごすことができた。
そして、6月下旬には新型コロナワクチンの集団接種が始まり、これを皮切りにぼくの週末はさらに慌ただしくなっていくのである。
◆7月
梅雨が明けた7月。
この1ヶ月、週末の多くは新型コロナワクチンの集団接種に従事していた。
その合間を縫って、対馬の美味しいご飯を食べに出かけて、自分へのご褒美をあげて気分転換していた。
7月中旬には、対馬にやって来た、家を持たない落語家さんと出会った。
こちらの落語家さん(立川こしらさん)は、ぼくと初対面した後日に対馬に住民票を写したので、これまたびっくりなできごとだった。
そして、この時期は休むことの大切さを考える1ヶ月でもあった。
何か成果を生まなくても楽しく生きているだけで十分だということを考えた。
7月下旬には、東京オリンピックが開会し、離島から東京の姿を見ながら思いを馳せた。
その後、ぼくは毎晩のように男子サッカーの試合観戦に明け暮れることになったのだった。
◆8月
8月は、多くの方々に囲まれる1ヶ月だった。
対馬・佐須奈で場づくりをしているいつメンと周年祭をしたり、
壱岐島ふるさと花火のお手伝いに行ったり、
「やっと夏が来たな!」
と夏生まれらしく吠える日々だった。
その後、新型コロナ陽性者が増えはじめて、
8月24日のぼくの誕生日は静かな1日だった。
誕生日をゆっくり過ごしながら、メンテナンスの大事さを再確認する。
そして、日頃の業務で感じる不甲斐なさを綴りながら、
翌月9月も頑張ろうと意気込む8月の終わりだった。
◆9月
9月も夏男らしく動き回った1ヶ月だった。
さごんキッチンの宣伝モデルになってみたり、
貝口ビアパークで地元のおっちゃんに囲まれながら小屋を建てたり、
対馬アートファンタジアを見に行ったり、
前月8月と同じくらい動き回っていた。
そして、6月下旬から携わっている新型コロナワクチンの集団接種への従事も続いていて、集団接種が何をもたらしているのか考えていた。
この時期のぼくのポジティブさはすごかったと思う。夏のポジティブさを引きずることができていたのだ。
いい意味でポジティブがポジティブを生むサイクルにいた夏の終わりを迎える9月だった。
◆10月
8・9月のポジティブな季節を終えて迎える10月。
ポジティブに動き回る裏側に隠れていたネガティブな部分が露出することになった。
というのも、9月に入ってから集団接種に加えて日頃の業務での残業が増え、心身ともに疲弊していたのだ。
そうなると出てくるのは愚痴が多くなっていく。
SNSで炎上しかけたりしたが、「対話する」という点においては、現状で抱える問題点に対する議論の余地と対話の方法を学ぶことができた。
また、この10月はコロナ陽性者数が落ち着いていることもあり、リアルでの飲み会が多かった。
様々な方々とお酒の席に付き、話をする中で改めて誰かに話す・訴えることですっきりすることがあるもんだなと思った。
そして、普段関わらない人と対話することで、異なる視点から現状を見ることができることを感じ、島外に出てみようかと思った1ヶ月だった。
◆11月
11月は1週間ほどかけて北海道を旅した。
北海道の日本最北の村・猿払村、雪国の離島・礼文島と利尻島に降り立ち、そこにある地域性を学びながら、自分自身を見つめ直す大事な1人旅だった。
島人として、離島の現実に向き合う覚悟を持つことができた。
そして、対馬に帰ってくると、4月以来の取材が待っていた。
元里子として、人生経験や今抱えている想いについて語る機会であると同時に、元里子という当事者に対する意識が年々薄れていることを感じる機会だった。
11月中旬には、北九州に行き、オンライン市役所で知り合った知人と初対面を果たした。
オンライン市役所でつながった方々にリアルでお会いする機会がなかったため、ありがたい初対面で嬉しく思うひと時だった。
今年1年間でもっとも島外に出る機会が多かった11月。
◆12月
今年最後の1ヶ月でもある12月。早速、12月上旬にオンライン市役所でつながった知人が対馬にやってきた。
知人と対馬島内を巡りながら、対馬という離島の温かさと自身の立ち位置を振り返る機会だった。
そして、12月中旬には先月11月に取材を受けた番組が放送された。
しかも、放送日時はクリスマスの12月25日。
クリスマスに見るから伝わることもあったのではないだろうか。
それから迎える年の瀬。毎年恒例の消防団の夜警に毎晩出動していた。
年の瀬に消防団の夜警は欠かせられない。
そして、無事に夜警を終えて、大晦日の今日を迎えているのであった。
これを2021年に感じた。
◆季節の変わり目には本当に弱かった。
冬から春に変わる3月、春から夏に変わる5〜6月、秋から冬に変わる10月は特に苦手な時期だった。
風邪をひくまでではないが、体調が万全でなかったり、なぜかやる気が出なかったり、モチベーションが低下してネガティブ思考に陥ってしまった。
これは社会人になってから同じサイクルを辿っているだと考える1年だった。
この時期にはこれまで以上にポジティブを生み出す機会や人に出会うことが必要で、それを自分自身が意識して求めていければと考えている。
◆生きているだけで十分だ。
今年は社会人になって一番働いた1年だった。
残業や集団接種に伴う休日出勤が増えて、生活全般や頭の回路が仕事モードになりっぱなしになってしまった。
それがゆえに、オフで何もできない自分に苛立ち、それは日頃の業務過多で残業のせいにするようになっていった。
でも、日頃の業務で一生懸命頑張れているなら、アフターファイブで動けない自分を肯定してもいいのではないかと思っている。
「生きているだけで十分。」辺りが暗い帰り道を歩きながら、そう呟くようにしていたのだった。
◆頭を切り替える環境が大事である。
今年はネガティブ思考から抜け出せなくなる自分に出会った。
そんな時に必要なことは頭を切り替えること。
つまりは、ネガティブに感じてしまう環境から、ポジティブになれる環境に行くこと。
コロナ禍による他者との接触制限で今年も苦労したが、やはりネガティブな環境から出ることをこれまで以上に意識していきたい。
2022年を想う。
これまでの人生で最も大晦日の実感がない今日を過ごしながら、1年の振り返りをしてきました。
今年2021年は長い1年だったと思います。
時が止まっているかのように感じた日々もあり、試練の1年でした。
ですが、なんだかんだ動き続けた1年でもあり、フットワークの軽さは健在だったことが収穫です。
新年は、2021年に感じた壁を乗り越えるべく、日々精進してまいります。
皆さま、新年もよろしくお願いいたします。
2021/12/31 針谷 広己(長崎県 対馬市)
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