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対馬沖海戦のゆかり地へ。
ぼく:今日(5/26)は休日出勤しようと思ってたけど、やっぱり休みは楽しく過ごそう!!
実はというと、対馬観光ガイドの会やんこも・古場公章さんから、こんなお誘いをいただきました!
いつもお世話になっている市役所の先輩・立花大輔さんからも声がかかり、参加することになりましたー。
まずは、茂木浜に。
日露戦争の時代。沈没した装甲艦から脱出したロシア兵が茂木浜に上陸したとのエピソードが残っています(下の写真を参考に)。
ぼく:対馬がロシアとも歴史を作っていることはあまり知らなかった。
これが当時引き揚げられた砲身。装甲艦が沈んだ方向に向いています。
万歳峠は険しい。
次に向かったのが、万歳峠。ロシア艦船が沈没する場面を見た洲川藤十郎が「万歳。」と叫んだのが峠の名前の由来だそうです。
ただ、峠の道のりは険しいものでした。息を上げながら、何とか登っていきます。
ぼく:いやあ、まいったなあ。こんなデコボコ道の先に記念碑なんてあるのか。
これが、昭和38年に建立された日本海戦の記念碑。他にも様々な場所にこうした記念碑が建てられているそうです。(茂木浜や琴の神社にもありました!)
西泊で目にしたものとは。
昼食後に向かったのが、西泊の殿崎。沈むロシア艦船から逃げ、浜に打ち上げたロシア兵を地元・西泊の人々が助けました。
2012年に建立された追碑(写真左上)と子どもたちに向けた当時の人々が描かれた冊子(写真右上)。
ぼく:ロシア兵を温かく迎え入れた地元の人がいたんだ。対馬の人の温かさは昔から変わらないものなんだなあ。
当時、西泊の人々はロシア兵に怪我の手当てをしたり、ご飯を振る舞ったり、宿を用意しました。その後、ロシア兵は捕虜として佐世保に向かうことになりました。
茂の井戸へ。
西泊の人々に油などで汚れた服の洗濯や食事の準備などしてもらったロシア兵はここで緊張から解放されて、落ち着きを取り戻したそうです。
おまけ
ゆかりの地めぐりの締めくくり。比田勝にあるChinguya & KiYoでアイスコーヒーをいただきました!
古場公章さん、今日は一日ありがとうございました!
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