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ぼくの離島生活を支える人たちの話

いわばさん、こんばんはー。

気軽に関わり合える存在が身近にいるからこそ、東京でも離島でも自分らしく生きられるのかなって思います。

台風が無事に去った後から、改めて実感していることがあります。

今住んでいる地域で、誰かとつながっていて、さらに地縁組織に属していることで、多くのモノを得られているのだと。

今回は、その実感も含めて、ぼくの離島生活を支えてくれている人たちのお話をしていきたいと思います。

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ぼくの離島生活で最も欠かせない存在は消防団ではないだろうか。

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離島に入った1年目。4月1日の辞令交付式で渡された入団届からはじまった消防団員の道。細い身体でやっていけるのか不安な中で、分団長から言われた「これからきっと仕事で忙しいと思うけど、たとえ5〜10分でもいいから活動に顔を出せよ。」という一言。

この一言で、気軽に活動に足を運べるようになっていった。

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台風時には、右往左往しながら土嚢運びや警備をしていく。でも、決して花を高くしない消防団員の姿には同僚としていつも感銘を受けている。

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そして、仕事が嫌になったり体調を崩したりした時に、声をかけてくれるのが消防団のお兄さま方。ドラえもんを題材にすると、ぼくがのび太くんで、お兄さま方はスネ夫くんやジャイアンという関係だ。時には叱咤され、時には凝っている肩をほぐしてくれて、ポンっと背中を押してくれる、勇気と気力をくれる存在だ。

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また、これからも消防団で輪になって踊りながら、離島でよりたくましくなっていくのだろう。

そして、離島生活に欠かせない存在がもう1つある。

それは、島外から移住してきたIターン同士で、同年代の3人組である。

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しょうもない話から真面目な話を、同年代で語り合えるのは、気が抜けてリラックスできる貴重な居場所である。

ある意味、つしまU30の集まりのようなものだと勝手に思っている。笑

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その中の1人(真ん中の方)は、ぼくの対馬生活1年目に初対面して、2年目には対馬に移住してきたという、もう3年目のお付き合いなのだ。

彼とぼくは同じく住んでいた都会で出会うことなく、なぜか離島で出会うところを見る限り、元・都会人!?として非常に面白い人生を歩んでいるのだと思う。

さらに、消防団や同年代の3人組の他にも、ぼくの対馬生活を充実したものにしてくれる存在が多くいるのだ。

藻場再生に向けて動いている漁師さんや・・・

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貝口ビアパークプロジェクトで関わる貝口地区のおばちゃんだったり・・・

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佐須奈の空き家を利活用しようと企んでいるお兄さんお姉さんも・・・

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ここまで書いてきて、「ハリーさんは移住してからまだ3年目なのに、どうしてこんなに人脈があるのか。」と数ヶ月前に島外から来た方から驚かれたのを思い出した。

ぼく自身は、「離島で生きる・働く人たちの力になりたい。」という率直な想いで動き回っているが、それ以上に得られているモノ(経験値やおすそ分けなど)が大きいのだ。

それに、いつも背中を押してもらっていて、離島で生きる気力をもらえているのだと思う。

これからもまた島内で色んな人と出会っていくのだろう。

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そうなんですよ。やっぱり、ぼくは人たらしで、対馬に生きる人たちが好きで仕方ないのです。

そうやって離島で生きていると、コロナ禍で「東京に帰れない。泣」と嘆かないわけです。

ぼくの離島生活を支える人たちの姿は伝わってきたでしょうか?

「どうして離島で暮らしているのか?」といつも東京などの都市部に住む人たちから聞かれますが、これからも「対馬に生きる人たちのおかげです。」と答えていきたいと思います。

20200921 はりやひろき

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