![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/149819777/rectangle_large_type_2_c99f4cf8ba88f127eb5253264cabde4a.png?width=1200)
器の大きな人の特徴は「自分の過去を他人事のように話す」
器の大きい人とは?と聞かれて、身近で思いつく人はどれくらいいるでしょうか?
思いついた人は、器の大きい人だと思う根拠を思い浮かべてみてください。
私が思う、器の大きな人の特徴は
純粋、子供っぽい、喜怒哀楽をはっきり表現する、自分の過去を他人事のように話す、素直、感謝できる
です。
というわけで、皆さん誰もが一度必ず器の大きな時を過ごします。
それは赤ちゃん時代です。
自分の過去を他人事のように話す以外は赤ちゃんの特徴として当てはまります。
大人で器の大きな人だなと思う人に共通なのが、「自分の過去を他人事のように話す」です。
過去の自分を不特定多数の内の1人というような感じで話す人。
こういう方たちは、誰かの意見に対して自分の意見をベースに考えないで、別の地点を中心に人の意見を聞きます。
宮沢賢治さんのように、あらゆることに自分を勘定に入れないわけではないが、必要以上に自分自身の利益を追求しない人。
なんていう特徴があります。
器が小さい人はどういう人かというと、自我と器が同じ大きさの人です。
バイアス全開で物事を見て、自己中心的に物事を見ている。自分の考えや経験がベース。
そんな人です。
つまり、器の大きな人は自我よりも器が大きな人です。
赤ちゃんがなぜ器が大きいかというと、まだ自我が形成されていないからです。
つまり、赤ちゃんの器は無限大の大きさなのです。
それとは真逆に、器が小さくなる時期というのが、第二次成長期です。
反抗期というやつですね。
親に対しても反抗してしまうというのは、自我が自己の中心にあるからです。
多分、第二次成長期というのは、「私は私である」ということを強く意識し、形成していく時期なんだろうなと。
それと同類なのがイヤイヤ期です。
喋れるようになり、意思疎通ができるようになったことで、自分を意識し、自己主張をし始める時期です。
大人の階段を上るというのは、「私は私である」ことをはっきりと認識した上で、私を含めた私に関わる事柄に対しても、「私である」と言えるようになることではないでしょうか。
つまり、器が大きい人だということです。
器が大きい人は、なんでも許容する人ではないですし、自己犠牲の精神がある人でもないですし、常に静かに笑っている人でもありません。
自然は自分自身のためではない次元で生きています。
自然というめちゃめちゃ大きなサイクルの中で、自身の役割をこなしています。
人と自然の最も大きな違いは、自由意志があるかないかです。
人には自由意志が与えられています。自然には自由意志がありません。
人はどのように生きても自由なのです。
そしてまた、人も自然の一部なのです。
自然というめちゃめちゃ大きなサイクルの中で、我々は生かされているわけです。
台風を災害と見るか、自然の一部で大きな役割を担っていると見るか。
人からすると台風は自然災害ですが、海の生物からすると台風によって海水の温度が下がり、珊瑚が育つ環境になるそうです。珊瑚が育つことで小魚たちが育ち、小魚たちが育つことで大きな魚が育つ。
台風にも大切な役割があるわけです。
というように、自己を中心とした見方では、決して分からない状態というものがあります。
そして、そういう自己中心ではなく自然でいられる人が「器の大きな人」ではないでしょうか。
いいなと思ったら応援しよう!
![ハリー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5142870/profile_c7797e97abcdee119aa5d5caedb13bba.png?width=600&crop=1:1,smart)