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国民的ヒーローが生まれにくい世の中で、モブを主役にする物語
このnoteは主に、ジュビロ磐田と幸福度とラブコメ(物語)について書いています。
今回はラブコメ回です。
前回ラブコメについて書いたのは「僕の心のヤバイやつ」を読んでの感動を書き連ねました。
アニメ「負けヒロインが多すぎる」をご視聴されている方はどれくらいいるのでしょうか?
このアニメは見ないと損をするタイプの内容です。
内容はタイトルのままで、ラノベ好きで友達のいない主人公(高一男)がヒョンなことからクラスメイトのフラれるシーンを目の当たりにするところから物語が始まります。
そこから、恋する男性にフラれるヒロインが周りに増えていき、第3話で3人の負けヒロインが登場しています。
この先、負けヒロインの数が増えていくのか、この3人と主人公を中心としたストーリーが展開されていくのか楽しみです。
スマホ以前は漫画は本で読むものでした。単行本になる物語は漫画雑誌に掲載されているものでした。雑誌数=作品数だったわけですが、漫画アプリが登場してから、私が10代だった25年以上前に比べて作品数が何十倍になりました。
雑誌のみだった時代は、作品数が限られていたため、漫画家という職業はかなり限られた狭き門だったわけです。そして、作品そのものも狭き門を突破したもののわけです。
選ばれた作品の主人公=ヒーローという構図が王道で、憧れる存在だったわけですが、作品数がこれだけ膨大になると、憧れる存在のみでは足りなくなってきます。物語の切り口を変えなければ、作品が産まれなくなってきました。
つまり、限られたヒーローではなくて、いわゆるモブキャラにスポットを当てるやり方に変わっていきました。
「久保さんは僕(モブ)を許さない」なんて、そのままのタイトルな訳です。
異世界ものも、これまで主役であった勇者は好感度の低い設定にして、主人公をズラすことで作品を量産するようになりました。
「負けヒロインが多すぎる」も「僕の心のヤバイやつ」も「久保さんは僕(モブ)を許さない」もスピンオフ作品の立ち位置であるはずのものが、本道になっています。
SOPHIAの「ゴキゲン鳥」(98年発売)の歌詞に
限られた数の相手の中で 一生かけての大激闘
フタを開けりゃ脇役争い 人生てこんなもんかな
という箇所があります。
この時代は主役という地位があって、そこを求めて向かっていきました。
SNSが登場し、1億総発信者時代になったことで、モブでも一躍ヒーローになり得る状況になりました。
決められた主役という座があり、そこを皆んなで目指していくという構造から、スポットライトのように、いきなり主役になる可能性があるという構造に変わりました。
多様性なんて言葉も同じ時期に登場しました。
マスメディアの影響力が薄まったことで、既定路線の主人公像がなくなり、ある意味でフラットな世の中になったとも言えますし、分かりやすい憧れがなくなったことで、地図のない世界を歩く事にもなりました。
まだ義務教育が近代的な世界観で成り立っているため、社会に出て困惑が大きくなったことは否めないのかなと。
ただ、若ければ若いほど、この自由と言えば自由な世界に慣れているように思います。
国民的なヒーローやヒロインが生まれにくい世の中で、幸せの有り様をどう形作るのか。案外、40代・50代くらいが最もこの変化に戸惑っている世代なのかもしれないなと。
思えば思うほど40代・50代は大変だけれど面白い世の中を生きてるなと、しみじみ思います。
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