時間効率という名の思考停止
時間効率という言葉が大手を振って世の中を闊歩するようになったのは、いつからでしょうか?
最近急に悪い夢から覚めたように、時間効率を誰もが当たり前に求めている世の中に疑問が浮かびました。
あれ?なんで皆さん、これほどまでに時間効率を求めているのだろうか?
タイパって……
時間効率が良い=できる人
みたいな数式がいつから完成したのでしょうか?
テクノロジーの進化であらゆることが圧倒的に簡単になり、スマホ一台で大体のことが出来るようになった世の中で、なぜこれほど時間効率を求めなくてはいけないのでしょうか?
時間効率を求めて、仕事もプライベートも時間を削って削って、そしてどれくらい1日を豊かに余裕を持って過ごせられているのでしょうか?
先ほどから疑問しか書き連なっていないのですが、考えれば考えるほど時間効率を求め過ぎている世の中がきな臭くてたまりません。
ほんの数分削れるかどうかの指摘を受けて、心の底から馬鹿らしいなぁと思ってしまった今日この頃。
その数分を削ったことでどれほどの幸福を得られるというのでしょうか。
仕事で無駄を嫌がる人たちが多い割に、空いた時間でひたすらスマホをいじっていたりするんですよね。
それって無駄な時間じゃないか?なんて思ったりしてしまうのですよ。
ご飯食べなたら、スマホで何かを見ている時間は本当に効率的なんですかね。
仕事で時間効率を高めることに熱心な方達は、短い労働時間で豊かなお金を手にしたのでしょうか?
経営者が時間効率というのは納得ですよ。
なぜなら最小限の労働力(賃金)で最大限のパフォーマンスを求めているから。
洗濯板を使って毎日洗濯していた人が時間効率を考えて洗濯機を買う。このくらい効率化ができるなら、そりゃ買いましょうよとなりますよ。
数分を削って削ってちりつもで何か大切なことに時間を使っているのなら分かります。
とんでもない仕事量で、時間効率を最大化しないと洒落にならない。という人たちなら分かります。実際に時間効率を叫んでいる人たちの多くが、圧倒的な仕事量を抱えている人たちなんだろうと。
その人たちに習って、成功したいなら時間効率を最大化しなくてはいけないんだ!!みたいな人たちがもしいたとするなら、それ逆じゃない?と言いたいんですよ。
時間効率を度外視して、熱狂的な作業量を重ねた結果、時間効率を最大化しなければ自分のやりたいことが全部できない!!!
だと思うんですよね。
労働者が時間効率を重視するのは、自分で自分の首を絞めているように
思えてならないんですよ。
ましてや若人には、人生は思ったよりも短いなんていう煽られ方とされてもなお時間はあるんだと言いたいです。
最短距離を突っ走らなくてもいい、遠回りして人生を豊かにする時間は確実にあると。それは40代でも50代でも実は同じです。
効率効率と言っている人たちは、思考停止しているように思えてなりません。
なんのために効率を求めるのか、効率を求めて日々を過ごした結果、どれほどの幸福度を得られたのか。
幸福って案外、効率を度外視した先にあったりするんですよね。
絶対にここを曲がったら遠回りになると思った道で、ふと幸せなことに出会えたりするんですよ。
だって、効率って頭で考えなくてはいけない、狭い狭い世界であって、直感で動いた時ってやっぱり非効率なことが多いのですよ。
そして、非効率を選んだ先に、自分が求めていた幸福があったりするんですよね。
非効率の最大値にある幸福が、実は子育てだったりするんです。
子育てってどう考えても、圧倒的な遠回りな幸せなんですよね。