「自分らしさ」なんていらないよね。と思う
自分らしく生きましょう。というキャッチコピーが流行ってどのくらい経つのでしょうか。
この言葉の受け止め方は人それぞれで、共感を抱く人もいれば反感を抱く人もいます。
「自分らしく」の捉え方次第で、生きやすさも生きにくさも変わってきます。
BUMP OF CHICKENの曲「ダイヤモンド」の歌詞に
私が思う自分らしさとは、引用した歌詞の部分かなと思っています。
自分は色々な側面があって、その色々な自分の全てが自分であると自ら認める態度が「自分らしさ」ではないでしょうか。
私ってこうだから、こうするよね。こういう選択をするのが私らしい。
というのは、自分の中では薄れていって、ほぼ無色透明になっています。
私は元々我が強いタイプだったので、このある種の思い込みに近い「自分らしさ」を薄める作業にめちゃめちゃ時間がかかりました。
40代になって、ようやく薄くなってきたなと自分でも実感できるようになってきました。
クリエイティブな仕事をしてきたので、特に自分らしさを失わないようにという気持ちでいたのですが、今にして思うといらないんですよね、自分らしさって。
なぜかというと、結局「自分らしく」しか出来ないんですよ。心から尊敬しているクリエイターの真似をどんなにしても、その人にはなれないように、自分なんて結局自分にしかなれないわけです。
あえて「自分らしさ」なんて求める必要はないわけです。
自分らしく生きるくらいなら、他者が求めてることをしていく方がよほど有意義です。
仕事はまさにそうで、自分らしくだったり、自分がやりたいことをやるよりも、周りがこうして欲しいと思ってることを率先してやったり、二つ返事で動く方がリターンが大きいです。
だからと言って、自分の時間を奪うような人たちの言うことを聞きなさい。と言うわけではありません。
環境は徹底的にこだわった方がいいです。
環境そのものに対しては「自分らしさ」というか「自分が本当に望んでいるところ」を妥協しないで選ぶこと。
世間的に言われている「自分らしさ」は環境へのこだわりのみにおいて大切なのかもしれません。
環境が自分で満足しているなら、周囲にいる人たちが求めているものが自分にマイナスになるものではないわけなので、快く受け入れたらいいわけです。
だから、私は「自分はやりたいようにやっている」と言う人が苦手なんだろうなと。なぜ苦手かというと、そういう態度をひたすらに撮り続けてきた自分がいるからです。
いわゆる「認めたくないものだな、若さゆえの自分自身の過ちというものを」です。
若さと言っても30代まではバリバリ「自分らしく」あろうとしていたんですけどね。